7月22日 金曜日 快晴
録音して忘れていたが、北海道在住で関西の大学に通っている(意味不明)人にレコーダーを返却することになった。なお今回で会うのが二回目である。クラスで声かけられて録音頼まれたが、北海道在住なのに、なぜ通おうと思ったのか。でもその熱意はすごい。今日は涼しいのでうれしい。打ち水がてら家の外壁も派手に濡らした。
そして、ついにポケモン配信。次々とみつけた云々の声がネットに溢れている。以下の書き込みはなるほどなぁと思った。
ねが @nu_ln 2016-07-22 11:24:28
「日本のゲームなのに日本でプレイ出来ないのはおかしい」と散々文句を受けながら海外の先行配信で問題点を洗い出して安全なガイドラインを作り、日本の殆どの小中高校が夏休みを迎えるこの7月第4金曜日に配信をぶつけてきたポケモンGOは「日本の子供たちの為」に作られたゲームなんだと心底思った
個人的にポケモンGOが可能な状況というのが、興味深い。
①子供でもスマホで接続可能な地域(インフラが成立している)
②スマホを持っていても強奪されたりしない(最低限の治安)
これを踏まえた上で、今まで見過ごしていたお地蔵さんなど宗教的施設の意味が変わる。聖書が眼鏡であるということとほぼ同義な形で、リアリティの意味を変えた。つまり何もない場所に希望と期待を上書きしたのがポケモンGO。キリスト教用語でいえば、目に見えない神の恵みが可視化されたものがサクラメントである。つまり。日本の異教的電子遊戯において、神の創造の善性としての恵みが発露したということである(錯乱)
にしても引き続いて体調悪い。