どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

今日おもったこと。

僕はノンポリだ。そもそも低所得の底辺だから、経済とか政治とかってことは分からない。法学部を出たけれど、僕の学生生活は、阿呆学部だったから、阿呆だ。なので良く分からないんだけど、思ったこと書いておく。

 

ヤスクニ問題。

 

ちなみに、僕はキリスト教徒で初詣は宗教的に行けないと思ってるし、毎週礼拝に出てる。そういう意味では、非常に宗教的な人間だ。宗教と政治は密接にかかわっているわけだけど、また僕自身は、神学を学んできた人間なので、ある意味では政治的な意味合いもなくはないけども、でも、ノンポリだ。

 

で、思ったこと。

 

首相の靖国参拝反対。うん、わかるよ。公人と私人の区別をつけろ!うん、わかるけど、具体的に物理的に無理じゃんか。こういうのって、根本的に憲法を改正しないと出来ないんじゃないの?つまり、天皇家への人権侵害を含めて考えないと、この連関は解いたことにならなくね?

 

つか、仮に、キリスト教の首相が出て来て、その人が毎週礼拝に出るようになったらさ、それも信教の自由とか外交問題とかになるんじゃないの?っていう問題が一つ。

 

次に、祭祀の問題。キリスト教国はクリスマス祝うじゃん。でも、キリスト教国だって、散々虐殺の限りを尽くしてきたじゃん。だったら、クリスマス祝っちゃだめじゃね?諸外国からヤスクニに文句言われる場合は、この問いを諸外国にぶつけるべきじゃないの?これが二つめ。

 

森有正なんぞ、いつか全集でも買って、ちびちび読んでいこうかと思ってるけど、結局、一つの国に一つの宗教が根付いていくという過程において(国教化しなくてもいい)やはり、言語レベルで定着しないと無理だということを、森有正「いかに生きるか」を読んで思う。無数の信者の思想思索生活が積み重ねられ罪重ねられ、堆積して化石になった後に、それが原油みたいになることがあるんじゃないのか、という憶測。

 

朝風呂に入りながらぼんやりと以上のようなことを考えた。で、今日はタスクがあるけど、もう五時半なのに何も終わってない。なんか、ustであずまんが建築の人たちと話してるをきいた。「この国のかたち」って何なんだろう。とにかく、自分でモノを考える最低限の素養が僕にはない。それだけが分かった感じ。