どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

無職は南を目指してみる

 ということで、実家に寄生してみたが、やはりつらい。一人暮らしに慣れているので、四六時中とにかく話しかけられることがストレスである。両親が叔父との自営業ということもあり、実家では公使の区別のない生活が続いている。僕のサラリーマン生活への憧れの端緒はシンプルにこういう生育環境にあるやもしれぬ。

 で、今日は昼過ぎのバスに乗って高知へ向かう。なぜ高知なのかといわれると知人がおり、彼をふらっと訪ねてみようかということである。電車の本数が少ないので、遅れずにバス亭のあるターミナル駅に間に合わなくてはならない。

 ところで久しぶりにテレビを見た。テレビが部屋からなくなって十年ほど経つが、折に触れて久しぶりにテレビを見ると、広告も番組もそのわざとらしさに驚く。わざとらしくしなければ、分かり難いということだろう。が、なんとも。


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 見るものがないし、親が動く音がうるさいので、遠山の金さんがやっていたので、それを見る。キリシタン話。興味深くみた。年寄が時代劇をみる理由は、構造の明確さへの安心だと思う。大衆に受け入れられる作品はすべてそういうもんなのかもしれぬ。少々話はズレるが、年寄が時代劇を好きであったとしても、彼らは江戸時代を経験していないだろう。大正末期生まれの人が90歳を超えつつある時代なので、そのあたりの精神性みたいのは気になる。finalvent「考える生き方」にそんなことが書かれていたようにも思うけど。

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 昨晩、両親、弟夫妻との食事後、地元では死ぬほど有名な古本屋へ行った。ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』池澤夏樹『カデナ』伊藤 計劃『虐殺器官』を買った。旅先で買う本は楽しいが持ち運びが大変である。ちなみに、僕の持ち物は、4日分程度の服、洗面用具、旧ネク7、wecカメとマイク、10冊ほどの本だが、ここに、母が使っていないノートPCを加え、さらに文庫が5冊増えた。重い。

 以上、そろそろ身支度と荷造りせねばならぬ。

【追記】

遠山の金さんとか暴れん坊将軍、水戸黄門、またはワンピースとか少女マンガとか、そういうものの影響力は、義務教育内の教科書による情操教育を遥かに上回ると思うけど、そういうことをどう考えるか、なんかぼんやり考える。