昨日、ある学会に出るつもりだった。で、そのために自宅へ戻ってきた。
が、駅まで急ぐのが面倒で結局いかなかった。駄目人間、ここに極まれり。あかんですわ(白目)
何をやっていたかというと、何もやっていない。夕方あたりから少し昼寝して、あとはひたすらダラダラとネットみてた。思うに、こういう時間が僕の不安を加速させる。このままじゃヤバイと思いながら何も進まず、何もせず、ただ外圧による突然の死を望む的な。あきまへんわ。ということで、残念なお知らせだった。
でも今週、高知にいって学んだことがある。とりあえず旨いもん食えば、人間、いろんなことが割とどうでも良くなるという話。高知の本物のカツオのたたきを塩で頂いたわけだが、これがやばい。おかしい。うだうだと悩むところを会った人に話していたが、口元にカツオを持っていく度に、そのあたりが消える。
あと生れて二度目、バーにつれて行ってもらった、僕はエチルアルコールの味そのものが旨いと思わないので、普段、こういうところに全く来ない。しかし、美味い酒を経験しないことは人生の喜びの一部を欠損しているというのは、さもありなん。マスター?が非アルコールの飲み物を出してくれて、これが美味くて二杯飲んだわけだが、名前をきいて驚いた。ジンジャエールだった。つまり、ジンジャエールと気付かないくらいに丁寧な甘さとほど良い辛味だったのだ。驚いた。
高知県は沖縄に並ぶワーストゲッターであるが(教育・給与の水準、自殺率・離婚率等)それでも、いや、だからこそ、うまいもん食って酒のめば、それでも人は生きていけるのかもしれない。
ちなみに会った方は、某教会の司祭さんであり、その方は、経歴だけでいけば、エリートになれた。しかし、彼はそれらを捨てて、司祭として人々と生きることを選んだ。孤独死の後始末、自殺者の引き取り、信者でない人の供養のためには坊さんを探してくるという人だ。そういう人だからこそ語れることばがあり祈りがある。彼とだから、塩カツオが旨かったのかもしれない。
色んなことを考える高知ぶらり旅だった。