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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

学生時代の人間関係を今いわれるとウニョる。

郵便物が来たと思ったら、学生時代に割と入れこんでいたサークルOBの会的なところからの近況やら寄付願などが届いた。今でも関わりのある人たちはいるが、それでも、もう十年以上前の話だ。となると、正直、現在、何をしているのか知らない人たちもいるし、伝え聞く程度の関係の人の方が圧倒的に多い。

 

つうか、あっちから連絡してこないし、僕としては、こちらから話すことなんてないし。

まあ、皆さん、仕事して家庭があって良かったじゃん、みたいな話にしかならない。

 

で、ふと思い出したんだけど、確かに、僕はそのサークルに相当に入れこんでいた。アホほどハマっていたと言っていい。だけど、いま思うと、それはやはり青春の(ry。ってことで、もうあまり関わりたくないというか、関わりようがないというか。僕としては、いや、皆さん、がんばってね、と遠目に思う程度なわけだ。

 

が、その頃の人間関係の中で、いまでも続くものがあるので、一概に云々言えないけれど、しかし、いつまでも学生時代、自分がどうだったかということを言うのは、人間関係として些か卑怯であり不公平だと思う。

 

もちろん、いわゆる同窓会的な場というのは「今」ではなくて、もう存在しない、それぞれの記憶の中に美しく発酵し捏造された「過去」を味わうためのものだろう。それを願うなら、それでいい。だけど、素で思うのは、学年が一つや二つ違う程度で人間の何が変わるわけでもないのだ。還暦を過ぎたゴミクズのような老人もいれば、20代半ばでも苦労して一つの形を得ている人だっている。つまり、学生時代の関係というのはノスタルジーの一種であって、年に一度でも多い程度なのかもしれない。

 

となると、ノスタルジーで食えるわけではないし、金にもならないし、となろうて。

 

で、一番いいたいのはコレ。

 

学生時代のこと、または幼少期などの「過去」を理由に「今」を生きる大人を辱める人々は、要するにゴミクズである。死ねばいい。そして、いわゆるサークル活動のような黒歴史を、いまだに引っ張ってくるというのは、いま妻子ある男性の前で、彼の過去の女性遍歴を何度も何度も繰り返すようなものだ。

 

駄目だと思うよ。なんていうか、一大人としてさ。