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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

書くことないし寝る。

以下、幸せになれない僕が思うこと。言わずもがな、僕はこの上なく恵まれていると思う。100人聞けば、3人くらいは僕に同意してくれるかもしれないが、状況だけでいくと僕は恵まれてきた。そこは事実だ。

 でも、やはり溶け込めないというか、うわぁ、と思ってしまった。先ほど、小保方さんのぜひを問う的な内容で、某有名牧師が書いている文章を読んだのだが、非常にマズイと思った。非常に大雑把にいえば、小保方擁護のキリスト教徒は信仰を持つ者としておかしい、みたいな論調である。

 

いやいやいやいやいやいやいやいやいやwwwwwwwwwwww

 

 ある人がキリスト教徒か否かを決めるのは、まず第一に、その主人であるイエスだろう。第二は、本人の自覚。そして、たぶん、第2.5くらいに周囲とか親しい人たちだろう。第三に社会的評価、で、最後に、マスコミとかそういうの。なのに、小保方さんを擁護するか否定するかで信仰の是非が問われるとか、おかしくね?w

 

いや、そりゃ確かに不正もあったっぽい報道がなされてるけど、全面的に否定されたわけではないんでしょ?正当な科学的手法と手続きを、すなわち確証的なことを言える段階には、まだないんではないの?つか、そもそも理系の博士レベルの云々を、市井の市民が理解して批判できるんだろうか。

 

原発やら何やらでは散々マスゴミガーといっておいて、小保方さんの場合はマスコミを全面的に信じるの?別に、小保方さんを擁護してないよ。ただ、現時点では、いわゆる僕のような門外漢には、事の真偽も善悪も判断できない程度の情報しかないんだけど、と言っているんだけど。

 

なんつうか、一つの正当性をいうためには、どうしても無限後退が起きるわけで、その無限後退をここでやめましょうね、っていう土台として、約束事として、いわゆるマナーや手法、手続きがあり、最後は裁判があるんだと思う。その意味で、この問題って、裁判やら相当な手続きを踏まない限り、どちらとも言えないんじゃないのかな、と僕は思った。いや、(追記:不正を見抜けないのはtimelostが)素人でバカだから、と言われたら、それまでだけどさ。

 

こうも簡単に、科学の問題に判断をつけられるのは、いったい何なのか。あなたは神ですか。そうですか。

 

以上、あまりにびびったので吐き出して眠る。なんか同じものを信じてるはずの人たちと一緒にいても、僕はやっぱり幸せになれないんだなというお話。おやすみ。