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ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

中学歴の世界

 なんか適当に記事あさってたら、昔みた高学歴と低学歴の世界の格差みたいな話が少しだけ話題になっていた。で、ふと思ったので書いてみる。僕が属しているのは、中学歴の世界だと思う。

 そもそも何を以て高学歴なのか、よく分からないが、一般には、たぶん旧帝大、海外有名大学、早慶上智とかだろうか。僕は西日本の人間なので、関西以西の感覚でいうと、東大・京大、阪大、神大、各国公立大または関関同立とか、そんな印象だ。で、関関同立以上の大学に入ると、いわゆる大企業や一流企業のソルジャー級に滑り込めるという、ぼんやりとした感覚である。

 ちなみに、僕は、上掲の大学とは全然関係がなく、F欄でもない地方私大の文系だ。偏差値でいうと50前後のマジメ系クズである。ただ知人には、割と高学歴に属している人間が多いように思うし、最近、そういう人との関わりが増えた。

 もっとも、親の周囲には、外務省で五指に入る官僚や米国の画商、弁護士、銀行頭取、医者とかがいるので、親は高学歴の世界に少し入ってるのかもしれない。今、思い出したけど、親は、上掲大学のどれかの出身だった。

 で、ぼんやりと思ったことだけど、高学歴や低学歴の世界があるなら、その中間もあると思うし、個人的には、その中間に住んでる人の数のほうが圧倒的に多いんじゃないかって話。

 数値的にもいえると思うけど、たとえば、上掲大学の毎年の入学者数を見れば、受験生全体の何%が、いわゆる高学歴の世界に入っていくのか可視化できるだろう。そして、その逆もまた可視化できると思う。親の年収と学歴が、子供の教育環境と学習能力に関わるというのは、たぶん疑似相関だと思うから、他の要因が加われば、さらっと消えるんだろうけど、やっぱ関係ありそうだし、何かしら肌感覚や経験ではなくて、数値化することができるんじゃなかろうか。

 でも、そんな面倒くさいことは僕にはできないので、僕としての中学歴の世界の肌感覚を記しておく。たとえば、僕にとって受験は、高校受験が初めてだった。大学も行ったが、親の仕送りと奨学金で何とかなった。ちなみに、いまは無職遠目な人間なので、奨学金の返済は猶予してもらっている。

 本人にやる気がないので効果がない塾に通わせてもらったはあるし、家族旅行も海外とかではないが、小学生くらいまでは、毎年あったように思う。時期がバブルってことも関係しているかもしれない。

 誰もが名前を知るような大学へ入るのは夢のまた夢だったし、かといって高卒のまま働くとか、専門へ行くほどの気概もないから入れる適当な大学へ入るとか、そういう感じ。同じ大学を出た人は、割に中小企業とかで働いてると思う。

 ここまで書いて思うのは、中学歴とは、たぶん割に広めにとると、高卒以上から有名でない大卒の人たちの雑多で雑駁な人たちな気がする。日経を読めば理解できるし、中学英語までは何とか読める、自分の働いてる分野では中間管理職となっていく、教養人ではないけれど、大衆的な教養ロマンを持っている、マイホームを買うために節約したり、会社に通うのに郊外に住んでみたり、ささやかな幸せを享受する大多数のアノニマス、音楽はJ-popも好きだし、クラッシックやJazzを少しだけ嗜む、贅沢はできないけれど、たまには良いレストランで外食、そんな人たちが中学歴の世界なのかなと思った。