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それは青春だった 終物語の感想(小並感)

 

以下『終物語』ネタバレ含みます。未読の人は注意

アニメ化物語を見たい人は、こちらから。

化物語 Blu-ray Disc Box

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 昨晩、西尾維新『終物語』下巻を読み終わった。アニメで化物語を見はじめた当時、女の子にフラれたこともあり、さまざまにクリックされるところがあって、僕はアニメにどっぷりとハマっていった。初めて訪れたNYでは、自由の女神を見ることを犠牲にして、ハルヒと化物語の新刊を紀伊国屋に買いに行った。

  専門分野に関する本以外読まなくなって、何年か経ていた僕にとって、自分の生活と少しのリンクを持ってきたアニメ原作たちは、随分といとしいもの(指輪物語ゴクリ風)になった。たとえば、俺妹の桐野の留学回を読んだときは、僕も留学中で飛行機の中だった。眼下にロッキー山脈が広がっていた。

 化物語という作品について、または西尾維新という作家についてアレコレ語ることは僕の手に余るし人不足だから、僕は小学生並みの感想を述べることにしたい 。

 

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

 

  物語そのものは、主人公である阿良々木君の高校最後の一年が舞台となっており、登場人物たちの青春が描かれる。そして、物語シリーズの最終巻である終物語では、彼らの青春の顛末が描かれる。そして、それを読んで、僕も自分の青春の顛末がついた気がしたので書いてみる。もっとも、そもそも青春とは何か、というのはよく分からないがwiki先生によると、こんな感じ。

青春とは、元は春を表す言葉である。古代中国の五行思想では、「春」には「青」が当てられる。同様に、「夏」を「赤」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」に当て、それぞれ「青春(せいしゅん)」、「朱夏(しゅか)」、「白秋(はくしゅう)」、「玄冬(げんとう)」という。これらは季節を表す言葉であり、これが転じて、日本では特に「青春」について人生における若く未熟で、しかしながら元気で力に溢れた時代を指すようになった。

 物心がつくというのがいつのことかよく分からないが、僕が記憶として、もっと言うと個人史として鮮明に思い出せるのは、おそらく14歳か17歳くらいからだ。一昨日から昨日にかけて、地元の知人に会ったこともあり、知人と中学の同級生などの名前を顔本なので検索してみた。皆、大人になり、結婚していたり、しかし、遠い日の面影があった。何か調子が悪くなったのはここだけの話である。

 それもあって、中高大以来、片思いしてきた女性について考えてみたりした。異性云々が直接、僕の青春の終りに関わるわけではないのだが、走馬灯的回顧として、実ることなき片思いを思い出したのである。そして、その片思いに、作中の阿良々木くんの交友関係を少しなぞらせてみたりしたわけだ。厳密には全く被らない。印象の問題だ。

終物語 (下) (講談社BOX)

終物語 (下) (講談社BOX)

 

  終物語では、青春の終りとは、誰かのために生きることをやめて自分のために生きることに始まるというのが、一つの主題として浮き上がってくる。割と大義名分だけでやってきた僕としては、そりゃそうだよなと思ったり。

 書き始めると面倒なので、全部蒸発させていうと、要するに、終物語を読むことで、僕の青春もまた終わったのだ、と思った。在米時、初めてその場で断らずに真剣に悩んでくれた女性にフラれ(結果的に一週間後に断られた)傷心のまま過ごした留学とか、帰国後の意味不明なメディアへの少々の展開とか、そういうことも含めて、すべて青春だったのだ。


アニメ「花物語 (するがデビル)」PV第1弾 - YouTube

 40代、50代になって見える景色、いわゆる老年期になって見える景色、祖父母たちより上になって見えてくる世界、いろんなものがあるだろう。しかし、どんな物語にも終わりがある。それは良いことだと思う。僕にとっての若く未熟な時代、それは決して今の僕が熟練しているという意味ではないけれど、青春という時代が終わったと思えたことは僕にとって良いことだった。

 阿良々木くんたちの物語は僕にとって、僕の青春の象徴だった。その物語が終わった。それを読むことで、僕もまた、あぁ、僕の青春も、実は、終わっていたことに気付いた。  という話。


花物語予告 Monogatari Series Second Season ...