どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき


Rubberduck's edit ENTER THE DRAGON - YouTube

一子相伝の闇の必殺拳、人はそれを集団的自衛拳と呼んだ。

その技が世に出るとき、海は震え、大地揺れ、世界は(ry

 

ということで、当て字が楽しいので言いたいだけです。以下、日記。

7月4日 金曜日

 昨日、社会復帰一日目という快挙を為したが故か、夜、あまり眠れなかった。一度寝たのに、一時間くらいで3時過ぎに起きた。で、やることないので、朝まで漫画を読んだ。で、起きたら昼だった。一日何をやったわけではないが、なんとなく取材先で撮ったものを貼っていく。 学生と教授の学ぶ姿というのは、もはや先のないこの国の教育における少々の麗しさなのかもしれないとか思った。

f:id:timelost:20140702235439j:plain

f:id:timelost:20140702235451j:plain

 午後、まだ読んでいない本をぼちぼち読んだ。イスラエルか、いつか向こうで何かの学位をとってもいいかもしれぬ。あと、最近、遠藤周作『イエスの生涯』をトイレで読んでいる。朝日新聞が、彼への評として、キリスト教の換骨奪胎的なことを言ったのはいつだったか、確かに、遠藤のキリスト教観は日本化され過ぎているとも思うが、どちらかと言うと、遠藤は日本人の感性で以て、キリスト教に真正面から取り組んだ人だと思う。

「乳と蜜の流れる地」から―非日常の国イスラエルの日常生活

「乳と蜜の流れる地」から―非日常の国イスラエルの日常生活

 

  江戸期のキリシタン、幕末の正教会、明治維新と共に始まったプロテスタント宣教、このあたりから数えて、つまり、新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造、植村正久、海老名弾正ら初代プロテスタント、その後に続いた賀川豊彦ら、その後に生きた森有正、三浦綾子、遠藤周作らの評価と共に、日本キリスト教文学史をまとめることは割に重要ではないかと思う。理由は単純で、近代日本における「個」の確立はどう考えてもプロテスタントの影響があるからだ。つまり、日本におけるプロテスタント受容の歴史が、そのまま現行民主主義の覚束なさの遠景となろう。要するに「戦後」とか「昭和」を総括しても良い時期なのではないか。震災以後という時代区分を個人的に気に入ってるだけかもしれないが。

 つなげるつもりはなかったけれど、このあたりを探ることが集団的自衛権にもつながるということだ。以前にもぼやいたように思うが、民主主義、資本主義という近代欧米の理念型というのは、あくまで欧州ローカルなものだ。その欧州の底には、キリスト教という水底があり、その地下には中世の千年、そのマントルはギリシア・ローマの千年の栄華がある。近代欧州における集団的安全保障もまた宗教改革以来の歴史を把握していなければ理解できないであろう。とくに国際法と神学におけるアルミニウス主義の関係、またはローマ法から教会法への変遷なども理解しなくては、民主主義の起源と歴史、即ち理論と実践を語ることはできない。

イエスの生涯

イエスの生涯

 

  何が言いたいかというと、集団的自衛拳を継承するためには、上掲のような最低限の遠景を把握する、または借景であることを知った上で、東アジアローカルの、つまり土着感性に基づいた公共性概念の構築が必要なのではないかと思う。その意味で、以下の放送を見ようと思っていたが、完全に忘れていた。

福嶋亮大「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #1 日本の〈物語〉とポップカルチャー」@liang_da | Peatix

 夕食は近所のインドカレーをたらふく食ったのだが、食べ過ぎて牛になり、起きたら11時半だった。結局、W杯ドイツvsフランスをみた。おもしろい。同居人のサッカー好きに解説されながら見たが、サッカーを見たい人と日本を応援したい人というのは、別であるということが話題になり、もっともだと思った。ナチス・ドイツの挫折からEUの銀行となったドイツに、フランスが負けた。どんな試合でもそうだが、負けるときの人々の顔は何とも切ないものだ。

復興文化論 日本的創造の系譜

復興文化論 日本的創造の系譜