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にっき:米30kg、虐殺器官、NHK戦後史証言・日本人は何をめざしてきたのか第三回

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8月23日 土曜日

 2時に寝たのに七時に起きた。しんどい。だらっと一時間だべる。ふとしたことで、誰かにおもしろいと思ってもらい、飽きられるという微妙な感覚を覚えた。自分の短絡的な認識構造を、もう少し何とかしたいものだと思う。

 10時半から読書。昼食は同居人院生制作のパスタ。ペペロンチーノとカルボナーラの合いの子らしい。折しもガッツリ雨が降り始めたこともあり、珍しく、同居人5人中4人がそろう。ミサワの真似事をしたり、ただひたすらにおっさんの会話である。頭の良い人々たちといるというのは楽しい。物事の角度が良くて、笑ってしまう。

 食後、トーマの心臓、虐殺器官を読了。トーマの心臓を読んでキリスト教徒になった人がいるとかなんとか。興味深い。あと虐殺器官、おもしろかった。どうでも良いが、虐殺器官が仮にあるとすれば、実は、それはサクラメント的な物理的普遍性を備えているというのが、僕の持論である。その後、友人司祭と福音書のペテロと岩の解釈について話し合う。良い学びのときとなった。アラム語、話せるようになりたいなぁ。

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 個人的な発見としては、ホメロスで、兵士たちがペトラ=石を投げたという話。あと、ペトラ神殿って、要するにアレは岩の神殿ということか。一度見に行きたいものである。あと、親から米が30kg届いた。最近そうめんばかりで、ごはんは炊かないのだが、涼しくなっていくならば、またごはんの機会も増えるだろう。

 夕食はそうめん。明後日の早朝に調査のために東南アジアへ短期でいく同居人博士が珍しく部屋を片付けていた。彼の部屋の戸を開けると、30cm四方も床が見えていなかったのだが、キレイになればなるものである。 夜、NHKオンデマンド戦後史証言を見た。丸山眞男について、今まで知らなかったが、良い入門となった。全集ほしい。以下、見ながら書いたメモ。


戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか第3回 丸山眞男と政治学者たち... 

  • 特高警察による尋問経験、 江戸期儒学における近代の発見、南原繁との出会い、助手になる
  • 『超国家主義の構造と心理』の発表、抑圧移譲の体系、無責任の体系、庶民大学、人々の民主主義への疑問、第一講義としての明治維新、「する」と「である」制度への態度、多数派支配の民主主義ではなく少数派の権利からの民主主義、
  • 全学連、女子学生の死、日米安保の成否と敗北の政治学、能動的人民active demosをつくること、永遠の運動としての民主主義、岸信介の退陣、池田はやとの国民所得倍増計画、高度経済成長、吉本隆明からの批判「戦後民主の基底としての私的利益を求める人々」、30年後に丸山が語った近代への楽観、
  • 父親としての丸山眞男=偉大な家庭教師、江田五月が記録した丸山ゼミノート、停電の中で続けられた授業、精神の冒険、あらゆる思想を絶対視せず、入り込み相対化する学問態度
  • 戦後民主主義を占領民主主義=虚妄として一括する人々への怒り、全体主義帝国の実体よりは民主主義の虚妄にかけたい、民主主義の制度、理念、運動を動的につくっていく丸山の決意
  • ロナルド・ドーア、海外での評価、敗戦後20年間公表していなかった広島・爆心地5kmでの被爆、救援・調査のために三日後に爆心地へ、その後32年間、訪れなかった。毎日、新しく問題をつきつける広島の被爆、核開発への批判
  • 1968年、国民総生産世界2位、受験戦争時代。息子、彰氏の日大闘争。34億円の使途不明金、新宿のべ平連での逮捕、息子の行動に口を挟まなかった丸山眞男。
  • S43・1968、東大全共闘、安田講堂占拠。丸山の理解、全共闘=心情ロマンチシズム=全共闘的主体性は内なるエネルギーの爆発だけで、独立した人格と結びついていない。 全共闘が出せなかった答え、丸山はそれをロマン主義として抽象化して、問題提起も主張者の責任に転嫁した。結果、運動に駆り立てられて日常に戻った人々も何も汲み出すことができないまま失敗した。丸山としては、戦前の良きリベラルの伝統が、大学闘争で断絶への不安、定年前に東大を辞職。
  • 退官後「歴史意識の古層」一般人に向かって、日本人と民主主義を語るために全国行脚。安保以来の永久革命としての民主主義、永久運動としての憲法9条。おかしな現状を批判するために掲げる理想、丸山政治学のエッセンスとしての永久運動。
  • 敗戦50年後、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、95年暮れ、81歳の丸山。千時中、日本はオウム真理教だった。40分、41名の教え子たちに語ったこと。「他者感覚のなさ」「横につながること」福島県郡山市の市長「民主主義は市民ひとりひとりの夢を実現」96年8月15日、丸山眞男死去、敗戦より51年。
  • 今年3月22日、生誕百年。一人一人が主権者として発言できる。発言するためには、他者と対話できる。つねに、他者の状況をくみ上げる「他者感覚」永久革命としての民主主義、永久運動としての他者感覚。他者の意見を内在化し理解することで、思想の発展が生まれる。 


戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第3回 丸山眞男と政治学者たち...

 丸山の思想系譜として、無教会キリスト教の伝統というのは重要だろう、たぶん。一高の校長であった新渡戸の薫陶を受け、東大時代に内村の弟子となった南原繁が、戦後史を「文字通り作った」丸山眞男の師である。日本プロテスタント史の社会的影響を考えるには良い材料だと思う。

 日本史におけるキリスト教の受容過程と民主主義の受容過程の類似というのは、要するに、輸入文化の問題であり、制度を自然とみなす日本の大衆的心性でもあろう。制度、理念があっても、運動がなければ、物神化しフェティッシュになるということだろうか。日本史において、内村鑑三と賀川豊彦が稀有の存在として記憶された理由は、彼らがキリスト教思想だけではなくて、社会問題へ喰い込む形で、制度を問い、理念を生きた運動そのものだったからではないかと思った。

 色々を考えさせられておもしろかった。全集ほしい。アニメを見ようと思ったが、なんか疲れていたので、早めに就寝。