どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:イカ天丼、古代シリア、歴史

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9月2日 火曜日

 一日だらっと過ごしたが、相殺できる程度の学習は行った感あり。イカ天を買って、簡易天丼を作成し、これを以て昼食とした。珈琲を飲んで、だらっと過ごしていると夕方三時になってしまった…。なんか、どうにもならんと思い、同居人とアリーさんを一話だけみる。

 その後、バイト的何かのために少々の勉強。中近東の歴史というのは、順序立てて学ばなくては僕のような凡俗には理解できない。一番興味深いなと思ったことは、いわゆるギリシアの遺産がアラビア世界にどのように伝わったのかという際に、その最初の媒介者が、ネストリウス派である説だ。彼らの3つの学問的中心地(ニシビス、ジョンディシュプール、メルブ)とその医学が、ローマとペルシャの国境地帯にあったことで、ギリシアの栄光をアラビア世界において保存する端緒となったわけだ。で、誰もが知る通り、後に、十字軍を経て、ビザンツ帝国千年の栄華の幕引きによって、知識人たちの一部がモスクワへ、一部がローマへ渡ることで、現在のロシアの形の基礎ができ、またルネッサンス・宗教改革・対抗宗教改革へと続く欧州のかたちが形成されていく。

 

 歴史の解釈というのは難しいものだし、どうしても伝説的要素が目立つこともある。よく知られた話として、91年に後漢が北匈奴を討伐した結果、4世紀頃に白フン族≒匈奴?が中央アジアより西進南下したことで、ヴァンダル族ゴート族などのゲルマン諸部族を圧迫、結果、ゲルマン民族の大移動になり、西ローマ帝国が瓦解、中世の基本構造が成立する。

 同様の時期に、アンティオキアに端を発したキリスト教は東進し、ペルシャ、チベット、インド、中央アジアを抜けていく。その途上でエフタル=白匈奴?、テュルク人と接触していく。最も遠くまで行った証が、高野山の景教碑レプリカとなる。ユーラシア大陸を駆け巡り消えたキリスト教の足跡を思うバイト的何かとなった。東アジアの日本語話者なので、中国古典や中央アジアの言語に少しくらいは通じていたい。