どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:晴れ、六曜社、勉強

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10月26日 日曜日

 朝、ここ数日の生活リズムの崩れにより早起きできず、友人牧師の教会へ出席。よく晴れた日である。随分と迷ったが、荷物を取りに兵庫県へ行くことに決めた。で、ちょっと遅刻を覚悟して出発したが、結果、派手に遅刻した。ナンテコッタ…(´・ω・`)

 牧師の話は、アブラハムの信仰について。75歳で裕福な街の裕福な身分を捨てて、行先を知らずに出ていった人の話。そして、その先で最初に得たものが、妻を葬るための小さな洞穴だった。彼が目指したのは、自分の故郷ではなく、天だったというお話。もし本当ならアブラハム爺ぱねぇ。

 昼前に礼拝は終わり、さあ出発。が、そこで単身赴任から戻ってきた友人より連絡。結局、今日いくのは諦めて明日に回し、帰宅。久しぶりにカップラーメンを食べた。ナニコレうまい。

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 当初、三時に河原町三条ということだったが、二時でも良いですか、とのこと。なので食後、原付で川端通りへ向かい、そのあたりの駐輪場に停めた。一日500円だと安い気がする。

 あとは歩いて街中へ。有名な六曜社という喫茶店にて彼と会った。話題は、彼がみた大企業の末端とか底辺の残念さ、オンラインでバズる「L型・G型」大学制作について。個人的には、スーパーグローバルってのは、そもそも名前のセンスがないし、ローカル型云々という職業訓練的な取り組みは、既に各大学がしているわけだ。それを国が行おうというのだから笑ってしまうし、そもそも大学は国から独立した理念と組織であってこそ、真理探究と教育という本来の仕事が出来るわけで。官僚になる人たちなんて、べらぼうに優秀なはずだけど、なぜ、こんな単純なことが分からないのだろうか。

 友人と話しつつ、僕としては、土人の再生産というのはマズイと思った。最近、東京・上野を歩いていた人がいきなり刺されるという事件があった。犯人いわく誰でも良かったとのこと。僕はネトウヨ・ブサヨのどちらでもないつもりだが、いわゆる法治国家というものが、その統治機構の整備だけではなくて、精神もまた重要であることを、その事件で思った。歩いているだけで刺される国ってのは、やっぱりまずい。そういう意味で、国境線の隅々にまで、法治とその精神が行きわたる必要はあり、そのためには、やっぱり教養が必要なんだろうと思う。

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 もっとも僕のように無教養な人間では、なかなか、どうすれば良いのか分からないが、たとえば、小さな地方都市とかで、トラックの運ちゃんが一杯ひっかけた後に、気軽にプラトンについて話し、漢籍を読み、文学を語るような、そんな場所や人の集まりを作ることが、全体として、歩いてても刺されない生活を担保するのかもしれない。

 子供を迎えにいくという友人と別れ、古本屋にてガルシア・マルケスのルポを買った。ほかにも欲しいものがあったがお金がないので諦めた。帰宅後、パスタを食す。同居人より、古典語Mの意味と用法について聞かれて一緒に調べた。partitive useだそうだ。知っているはずだが、初めて見た気がする。完全に忘れている。

 あと少々古い全集をバラで買い集めている。以前、教授に言われたことをきちんと確認しとこうと思って買ったのだが、金がかかる。が、興味深い話である。

 夜、雨が降り始めた。明朝、早起きして荷物を取りにいこうと思うが、晴れたらいいな。