どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:東京は遠い、メガネ購入、介護独身

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11月12日 水曜日

 10時半頃、院生氏を病院に連れていく。朝10時の新幹線にのれば、13時飯田橋西口に行くことができた。九州の友人が出張で東京に出てきており、そのついでに、編集の友人たちが彼を迎えるのだ。なんとか僕もいけたらよいと思ったが、経済的にも時間的にも厳しいので、結局あきらめた。やっぱり東京は遠い。

 というか、まあ、朝起きて院生氏が病院に行くというので、車で彼を連れることにして遠出の代替とした。京都の道は狭いし、止める場所も空いていなかったので、30分100円の駐車場にとめて、40分ほど待った。コンビニ珈琲を買い、本を数ページ読んだ。

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 院生氏を学校でおろし、僕は帰宅。昼飯は誰もいないので、親子丼の上掛けの残りで雑炊をつくった。採光窓から黒猫がみえた。よく晴れている。午後、壊れたメガネを何とかせねばならぬと思い、散歩ついでに近所の眼鏡市場へ。懇切丁寧な接客でびびった。僕のメガネは、これで四代目である。僕は家計的に目が悪いらしい。家族は全員コンタクトか眼鏡である。眼鏡をかけたのは僕は最後で、20代半ばであった。

 はじめての眼鏡は、扱いなれておらず、記憶違いでなければ、渡米直前、大雨の日に道路上に落とし流されて、車に踏まれ、見るも無残な姿になっていた。二つ目の眼鏡は、帰国後、もうボロボロになってしまったので買い換えた。で、壊れたのが三代目である。フレームが折れてしまったので、もう直せない。残念である。

 今回、眼鏡を注文する際に思ったが、わりに僕は物神的である。日本人はフェティッシュだと言われる中、自分はそうでもないと思わなくもなかったが、一般的な範囲でフェティッシュなのだろう。 住所に愛着はないけれど、身に着けていたモノには愛着が残るのだ。

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 帰り道、何とも鬱とした表情で笑顔の子供をのせた乳母車を押す女性とすれ違った。子供の笑顔と母親の顔のギャップが対照的で記憶に残る。そういえば、行きがけにも階段に座って子供をあやす女性が、似たような表情だった。彼女が座る階段を使おうとした何かの店員が気まずそうだった。

 夜、メシを食いながらアニメを消化。俺ツイ第二話、SHIROBAKOの続きをみた。アニメを見ることで満たされる組織の中にいることでの承認欲求みたいな話から、アイデンティティとは何なのか、みたいな話になった。ライプニッツが援用したアリストテレスの理解で解説を受けたが、なるほど、わかりやすい。

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 夜9時半、中古同人を扱うサイトを見て、思わず三千円ほど購入してしまった。その後、さすがに眼鏡を買って金を使うだけ使って終わるわけにいかず、小遣い稼ぎの書評を完成。さまざまに考えさせられるものである。全ての人が多かれ少なかれ関わらざるを得ない「介護」について、当事者視点の問題の構造と多様性を知ることができる良書なので、ぜひ一読されたい。

ルポ 介護独身 (新潮新書)

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