どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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にっき:日曜日、罰ゲームな選挙、僕らはみんな生きている

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画像は宇宙リンゴ様より拝借 宇宙りんご

12月7日 日曜日

 朝、礼拝へ。待降節第二週である。寝不足ではあるが早く起きたので、早朝礼拝へ。朝焼けを映す鴨川が美しい。そして寒すぎる。途中、紅茶を買ったセブンが、ドーナツを先行販売するらしい。なんと。近所にミスドがあるから、そういう戦略なんだろうか。個人的には、ミスドにがんばってほしいものである。

 牧師の話は、深く実存を問われる話だった。寒いし腹減ったので朝マック。店員が非常に元気よく、ちょっと面食らうが気持ちよい。レジの女性も寒いですねと声をかけてくる。清々しさと痛々しさの両方を感じるが、爽やかさが勝る。寒いからだろうか。

 ところで、選挙である。投票用紙が来ているが、期日前で白票かなと思っている。全国で多発しているらしいが、罰ゲームのような選挙だ。クズの中からよりマシなクズを選ぶ罰ゲーム。そもそも今回の選挙にどんな意味があるのか。

 あと、ただの又聞きではあるが、いわゆる安部自民は今までの自民とは少し違うのだそうだ。自民というのは基本的に談合集団であり、ゆえに政治という高度な利益調整が可能であった。だからこそ政権与党であった。が、いまの安倍自民はイデオロギー政党っぽい方向に傾いている、のだそうだ。そういう意味で、そもそも多様な集団の利益調整団体だった自民の伝統からは、少し外れているという分析があるらしい。

 僕はもともと政治にあまり関心を持てない人間であり、ついでに女性にモテない人間でもあるが、要するに、現実的に変化するという希望がないことが問題な気がしている。史学出身でもなんでもないので、ただの井戸端意見でしかないけれど、政治家は希望を語らなくてはならない。組織の運営と執行は官僚が行うものだろう、たぶん。

 いわゆる経営学などには関心がないのだが、それでも必要があって講義を受けたことがある。で、そのとき聞いたのは、組織には、それを守る役員会的存在が必要であり、その役員会的存在を常に刺激し、変革や前進のための計画を見せる人が必要であるんだそうだ。端的にあてはめれば、政治家は、そういう計画を見せることが仕事で、官僚は、その計画を実現する高度に複雑な手続きを実行できる人々であるということだろう。が、少なくとも今の僕のような残念底辺無職男には、政治の話をきいても希望を持つことができない。もっとも、そもそも希望ってのが何なのかよく分からないのはあるんだが。

 ただ個人的に明確なのは、民主主義という以上は、何が動機であれ、それを守り続けるしかないし、そういう努力が必要なんだろう。たとえば、僕が好きなアニメを見、ネットでだらけて、たまに回転寿司を食う自由を得るために、努力が必要なのだ。たとえ標準偏差的に衆愚政治となろうとも、土人村よりはマシなんだと思う。

 だから、とりあえず学ぶことは必要だろう。もちろん、啓蒙主義には限界があるし、そこに、いわゆる人文学的な、または宗教的な見地や意味が力を発揮する場が出てくるわけだ。とまあ、ぼんやりと考えた。

 帰宅後、午前中はブログ更新。学生氏は自転車で、博士と院生氏は車で教会へ向かった。今日はよく晴れているが寒いので洗濯しても意味ないかもしれない。身支度。昨晩、スーパーで買ったピザパンをネットを見ながら食べる。夕方4時から取材に行った方が良いのかと東京に確認したら、東京での会見で構わないのでと言われ、良かった。勉強しようと思ったが、とりあえず溜まっている原稿を二つほど片付けることができた。

 夜10時半、博士と映画をみる。20年前、バブルの名残香る時代の映画だ。なぜかジャケ写を覚えていて、もう一度みてみた。内容を全然覚えていなかったが、ヒルと写真の場面だけ覚えていた。

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僕らはみんな生きている(予告) - YouTube

 博士には全く不評だったようで、演技は不自然、台詞などはドン引きだったそうである。個人的には、ああいう時代の産物として見るには興味深くて、笑いながら見てしまった。また、なんというか、日本的な自画像とか揶揄みたいのも、確かに気持ち悪くはあるが、おっさんたちの痛みを等身大描くとしたら、ああなるのかもしれない。いまでも横文字大好きな大企業とかだと、似たような感性なのかな。僕には理解できないが。とはいえ、個人的には、もう一度みることが出来たという事実で満足である。つか、バブルの恩恵とか預かってないんだよなぁ。