どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:体調回復、マリア様がみてる? 歴史浪漫

12月23日 火曜日

 午前中、薬が効いたのか、トイレに行く回数は減り動けるようになった。今晩、院生氏と博士の教会の青年会が、うちのキッチンを会場にクリスマス会を行う予定になっている。が、今日一日かけて大掃除をしようとしていた院生氏が、外で段ボールを畳んだ後、急に吐きそうと言いだし、寝込んでしまった。僕と学生氏は、基本的に関係ないわけだが、とりあえず大勢の来客に備えて片付けねばならない。博士に電話してみたが、東南アジアのノリなのか、大丈夫ですよ~とか言っている。ちょっと殺意わく。

f:id:timelost:20141225155055j:plain どうしたものか、と思っていたら、学生氏がいきなりスーパーサイヤ人化した。服が破れて、金髪になり(ry ということはなかったが、颯爽と部屋の片づけなどを全部やってくれた。「timelostさんはいいすよ、寝ててください(キリッ」てなもんで、驚きのカッコよさである(当社比5倍)夕方5時半に人が来ると聞いていたので、それに間に合うように風呂に入ろうと思っていたが、人が5時に来た。早めに来るんじゃねーよ、と思ったが、そこは仕方ないので来客相手は学生氏に任せて、僕は自分の部屋に避難。

 夜、先週から約束していた友人たちとネットで話す。主題は、脱亜入欧論的な日本人の自画像と宗教性みたいな話。

 知っている人は知っている話なのだが、エンタシス伝来論というものがある。法隆寺のなかほど膨らむ柱群が、遠くギリシャの神殿の柱エンタシスに起源をもつという説だ。これはすごくおもしろい話なので、時間のある人は以下の説明を読まれるとよいかもしれない。

法隆寺の「発見」:井上章一(国際日本文化センター 副所長・京大教授)人文學報.pdf

 井上先生が別の著書において仰っておられる通りだし、僕もそれに賛成するが、ユーラシアをつなぐ壮大な夢は本当におもしろい。いまから約1640年前、古代の末期に、聖母マリアを「神の母」ではなく「キリストの母」と呼んだことで帝国規模の政治闘争に負けて、エジプトの砂漠で亡くなった主教ネストリウス。また彼と直接関連はなかったが、五大教区(帝国を五分したキリスト教の首座主教都市のこと:ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリア)のアンティオキアからキリスト教ローマ帝国とゾロアスター教ペルシャ帝国の境界域で、ギリシア文化を後のイスラム圏に運び、後のルネサンスへの足掛かりとなった古代シリア教会、彼らが遠く中国で景教となった。東へ向かったキリスト教は、インド、中央アジア、ロシア南部にまで至り、モンゴル帝国にいたるまで、千年の繁栄を築いた。

パックス・モンゴリカ―チンギス・ハンがつくった新世界

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  即ち、現在のカトリックや正教ほどマリアを崇敬しないキリスト教が、中国にまで到達していた。しかし、日本には到着しなかった。または到着した学問的証拠は現時点では存在しない。が、人々は、そこをおもしろがった。空海の師匠たる般若三蔵は、景教の神父アダム景浄の共訳者だった。史実としては、般若三蔵と景浄は喧嘩別れとなった。記録もある。

 しかし、司馬遼太郎と陳瞬臣は、そこに想像の羽根がはばたくのを見た。空海は師匠に連れられて、実はキリスト教に触れていた。そして、キリスト教に深く感じ入り、それを土台に後に日本で活躍した。脱亜入欧論的な日本人の自画像は、幻想の中で、日本史をキリスト教欧州の世界史に結びつけることを求めた。西洋人よ、おまえらが後生大切にしているキリスト教は、随分昔に日本に到着しているんだぞ、と言わんばかりに。

 その気持ちの表れとして、伊藤忠太のエンタシス伝来論があり、久米邦武の事件があり、中里介山の聖徳太子の厩伝説がキリストの馬小屋由来であるとの説となった。確かに、唐代中国長安におけるキリスト教は635年から845年にいたる、約200年の繁栄を得た。その後も、中国の辺境に七つの修道院が残り、これらが後のモンゴル帝国のキリスト教などとも影響したであろう。そして、この約200年間は、遣唐使として多くの日本人が留学生として海を跨いだ。

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 証拠はない。でも、もしかして、ギリシアやローマの文化・宗教が中国を超えて東進し、地の果ての日本列島にまで届いているのでは...?と思いたくなる。

 しかし、井上章一は、はたと気づく。でも、中国に到達したキリスト教はマリア崇敬をしていないじゃないか。聖徳太子の厩伝説は確かに受胎告知に似ているが、受胎告知譚の主役はマリアであって、キリストではないじゃないか。

 マリアで揉めたキリスト教は、確かに中国までは来たが、日本海は渡らなかった。しかし、日本の側で、小説の中で、または脱亜入欧論的な自画像の中で、マリアを介してキリスト教を引き寄せた。そんな千五百年を超える歴史浪漫を思う。

 友人たちとそんな話をした。やはり喋ると疲れるらしく、少し咳がひどくなった。そもそも、ほとんど食べれないので、あまりいまは体力がないのかもしれない。しかし寝込むほどではないので、マリア様がみてるの同人ゲームをやった。夜、ほぼ人々が帰った後に、少し残りものを食べてみた。おいしい。クリスマス会は盛況で十数人が来たそうだ。

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