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にっき:メリークリスマス、秘密、実存

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12月25日 木曜日

 グレゴリオ暦 降誕記念日。ユリウス暦だと約二週間ずれるので正教のクリスマスはまだ来ないが、僕は西方ラテン教会から派生したプロテスタントの信者なので、今日がクリスマスである。

 日曜日に礼拝に出れなかったので友人司祭に紹介された教会へ行く。ただ予定通りに起きたのだが薬が効いていたのか、寝坊になってしまった。少々わかりにくい場所にある教会へ。が、とりあえず無事に到着。良かった。原付に乗ると風が冷たく、体調回復を実感した。歩くのもしんどかったので、どうやら快方に向かっているらしい。

 礼拝の説教は、ルカの福音書より。ヨセフとマリヤが持っていた秘密。心理学者 河合隼雄によれば秘密には二種類ある。一つは、物語「秘密の花園」のように親しい者同士の間で共有されて、それを互いに守ることで、人が成長していくような秘密。やがて開示され、より良い大きな発展へと開花するような秘密。一方で、もう一つの秘密は、存在を脅かすような秘密がある。

 たとえば、ヨセフとマリヤにとって、結婚前のマリヤの妊娠は互いの存在を脅かす秘密であった。その意味で、彼らの秘密は存在の弱さ、もっと隠された深い内奥にある、人間の底に秘められた弱さだった。誰にも知られてはならない、ヨセフとマリヤにとって文字通り生死を分ける秘密。しかし、神は、幼子イエスとして、その存在を脅かす秘密、弱さの中に現れた。

 誰にでも弱さはある。しかし、その存在の弱さの底に神が共にある。それを覚え祝福するのがクリスマスである、というお話。


 カトリックでも聖公会でもそうだが、ニカイア・コンスタンティノポリス信経を朗読して、不覚にも泣きそうになった。僕の実存のすべてがこの告白にかかっている。ろくでもないこと続きのクリスマスを今年も過ごすかと思っていたが、今年は良いクリスマスとなったなぁ、と思う僕の心の溜息が、小さな会堂に響く讃美歌に溶けていった。

 すぐに帰ろうと思っていたが、友人司祭の紹介ということもあり、司祭さんにご挨拶。勧められたので午後二時まで、昼食を茶菓をご馳走になった。お昼は弁当屋に皆で注文して取りに行く感じ。司祭さんとも良い話になり、信徒の皆さんとの会話も楽しい時間となった。久しぶりだな、この感覚。

 午後、曇り空の中、帰宅。途中でミスドを見かけたので、病臥中に世話になった同居人たちへの例として、適当にドーナツを買う。メールで置いておくので食ってくれ、と言うと、学生氏からはギリシャ語で返信があった。あんた、まじすげえよw

 帰宅後、ひたすらブログの更新など雑務。夕食は院生氏が残り物で作ってくれたうどん。うどんも食えるし、治ってきたぞ。食べながらTBSの東ローマ帝国の番組をhuluでみる。世界一周旅行から帰ってきた友人より連絡があった。明日夜、夕食を食べにくるらしい。シチューでも作ろうかな。

閑話休題。

 昨晩、独男反省会にて、友人より言われたことをふと考える。確かに、僕は自分が特別だと思いたいのだ。だけど、特別ではない。だからこそ、そこを何とか信じたかったり何か価値のあることになればいいな、と思っていたりするのだ。書き始めるとナイーヴで面倒な話になるが、実は、特別であることへの憧れ、または漠然とした、より高度に洗練され抽象化された「憧れ」そのもの、みたいなものが、実は深く僕の実存と関わっているように思う。そんなことを思った。