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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:蜘蛛の囚人、成人式、晴天の雪

京都 宗教・歴史

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1月12日 月曜日 快晴と雪

 昨日、遺書を書かねばと思う程度には落ち込んだせいか、今朝は咳き込みつつもスッキリと目覚めた。名古屋から大阪に来た友人と会う約束があり、昼食でもと思っていたら、9時には京都駅につくとのこと。急いで準備し、タブレットのケースを買う院生氏も乗せて京都駅へ。

 10時過ぎ、京都駅のヨドバシカメラ駐車場の入口が分からずぐるっと回ったが無事に入庫し到着。友人を一階のパン屋で見つけた。疲れているのか、僕が待たせすぎたのか、彼は居眠り中。二人席に移り、僕は珈琲と朝ごはんのバジル・ツナ・アボカドサンドを注文。珈琲が美味しい。友人は、天風息吹の名で作家デビューし、今は別名で活動する兼業作家である。今回の関西訪問は、大阪での和歌や俳句の集いに参加するために来たついでで連絡をくれたのだ。有り難い話である。

 彼の波乱に満ちた20代や創作の話などを聞いて午前中を過ごし、珈琲二杯目を飲み終える頃に院生氏が買い物を済ませ到着。本当は、タコライスでも作って食べようかと思っていたが、時間も遅くなるし、そのままヨドバシカメラの7Fで昼食。京風パスタ先斗入ルという店で食べた。先斗町に本店があるのだろうか。京都という名前はブランドである。猫も杓子も「京都」とつけば、その歴史と文化を帯びてしまう。が、そもそも京都とパスタは関係ないだろうなと思った。でも、九条ネギとナントカ鴨のバジルソースパスタが美味しかった。つかバジルばっかりだな。

蜘蛛の囚人

蜘蛛の囚人

 

  せっかく訪ねてくれたので、とりあえず帰宅。珈琲を飲みながら、院生氏と三人で日本語と欧州系言語における主語「私」の機能問題みたいな話をした。たしかにヨーロッパ言語は、明確に「I」なり「Ich」なり「Ju」なりが必要であるが、日本語では、主語は省略されることが多い。ただギリシア語やラテン語という古典語(それに近いイタリア語、スペイン語は)は、動詞変化の中に主語を含むので、強調する以外であまり主語を言わない。そういう意味で、日本語が、多少の古さを反映しているのかもしれない。どうでもよいが、コイネ・ギリシア語における「私」はegoなわけだが、私を強調するためにはエゴを言うって、ちょっと駄洒落めいておもしろい。

 院生氏いわく、欧州言語において「私」が明確化されるのは、やはりデカルト以降ではないか、とのこと。私という物事を認識する主体は、認識している私そのものを認識する。つまり「私」は「私」を考えるという意味で、主体と客体であるのだが、院生氏の学祖的大先輩、西田幾多郎に言わせると、人が物事を純粋に経験するというのは、たとえば壮大な景色に感動して言葉を失うようなときであり、その瞬間、人は「私」が「私」を考えるというような形ではなく「私」としてその景色を経験するのだ(大意)と言ったらしい。なるほど、そう思うと、欧州的な言語の主語機能と日本語におけるそれの違いは、何か明確な気がしないでもない。まあ詳しくは分からないのだが。

 楽しい時間というのは、すぐに過ぎてしまうもので、友人の高速バスの時間が近くなったので、下賀茂神社の横を通り河原町通りを下って、四条へ。成人式の雑踏の中、友人が地下へと降りていく様子が信号の合間にみえた。晴れているのに雪交じりの空の下、四条の橋上を花のような着物姿の女性たちが京都の彩になっていた。晴天なのに雨が降ることをキツネの嫁入りというが、晴天で雪が降るのは何と言うのだろう。今朝みた青空に白くかすむ機影がふと思い出された。