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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

so everything that makes me whole

2011年3月11日

 北米標準時で確か真夜中だったと思う。ネットで流れるコメントが、いきなり「地震だぁぁぁ」とざわめいた後、沈黙した。太平洋を隔てた祖国では東日本大震災が起きていた。最初冗談かと思いきや、どうやら現実らしい。しばらくして、僕が最初に見た映像は、都内のどこかで煙があがっている映像だった。「東京に直下型地震がきたのか...、日本終わった...」と思った。

 地震直後、とにかく全容を把握せねばと西日本に住む両親や祖父母に連絡した携帯電話がまだ生きていた。が、それも直後のおそらく30分以内で、その後、数日間は日本への電話がつながらなかった。

 家族の様子から西日本も関西も大丈夫だと思ったが、東京や東北に友人やネット仲間がいた。随時確認をとり、知人は皆とりあえず無事だと分かった。あまりの出来事に、三日ほど眠れず、ただネットで錯綜する情報を眺めていた。日本のために何かしたい。が、飛行機で片道十数時間の道のりにいる僕に出来ることなど何もなかった。キリスト教信者の僕は文字通り祈るしかなかった。

 確か五日目だった。つい最近、海外で学ぶ僕のためにと日本の駄菓子を送ってくれたネット仲間がいた。その人の住所が福島であることを思い出した。連絡しても返信がなく、地図上では沿岸部ではないが原発が近い。まさか...と思っていたが、返信があった。家は半壊したが家族は無事であること、避難所にいたので返信できなかったこと。そして、僕が返礼で送った板チョコ2kgが震災直前に届き、それが小分けになって避難所の子供たちに配られたこと。

 僕は思わずその場でひざまづいて泣いて祈った。何かしたいと思っても、どうすることもできず、ただ惨状が錯綜したままに聞こえてくる中で、本当に祈るしかなかった。が、祈りが聞かれたと思った。ただのくだらないジョークで、チョコを2kg送った。送料とチョコが同額になった。が、しかし、くだらない冗談が、遠く被災した子供たちの小さな糧となった。

 憔悴する僕に、神の裁きだと言いに来た愚かな人もいた一方で、黙って、おまえ食べていないだろう?と僕に食事を持ってきて、優しく肩に手を置いてくれた人もいた。僕は外国人だった。

 2011年5月、専門分野との兼ね合いで、英語圏で学べば何かしらの者になれると思っていた僕は、結局、挫折したまま帰国した。ただ日本で暮らし日本のために何かをしたいと思っていた。約一年後の2012年3月11日、僕は初めて招待されて講演をした。僕なりの使命感の詰まった内容だったし好評も得た。窓外を流れていく春近い瀬戸内海と津波の映像の違いに、ぼんやりと戦慄しつつ祈る思いとなった。

 今日、あれから、さらに三年を経た。あの時に感じた「被災者ではないが当事者である」という意識は、より明確になっている。地震そのものの宗教的・神学的意味などを問うことは難しい。ただ、僕の実存にとって、あの震災という出来事が拭いがたい不可逆の楔として、僕の方向性を何かしら定めていることは、ある種の予感めいたこととして、僕の底にあった。

 そして、また今日を迎えた。あの日、僕はただPCを眺めることしかできず、ほぼ地球の裏側で不安になることしか出来なかった。でも、今は、日本に帰ってきて。きっと、おそらくだけれど、何かしら仕組まれた物語のように、あるべき位置に投げ込まれて、いまの立ち位置に来た。

 あの日の僕と今の僕に大差はない。ただ四年という短い期間の失敗と苦さが、そして、それに伴う旧約預言者たちが見たようなこの世界の広さ、長さ、高さ、深さが、少しは僕に馴染みのものとなっているだけだ。しかし、僕はその僅かな違いに気付いているのだ。そう、だから