どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:天使にふれたよ、東京へ、シンポジウム一つ目

3月13日 金曜日

 朝7時起き、二度寝できず。朝食にメンチカツサンド。午前中に出ようと思っていたが、荷造りしていたら、中高生以来お世話になっている近所のダスキンのおばちゃんが訪ねてきてくれた。いまは引退しているが、以前は教会の役員さんでもあった。信仰の塊の塊のような人だ。約二年振りくらいだろうか、強い方言で笑顔で話しかけてくれるおばちゃんをみて、あぁ、この人は天使みたいな人だなと思った。「まあ、また生きとったら会えるけぇのぉ」との破顔一笑が記憶に眩しい。

 ただの連想ゲームだが、思いついて、けいおんの「天使にふれたよ」を聞いた。歌詞に「忘れ物もうないよね」という一節があるが、それを聞いた瞬間ふいに泣きそうになった。

 関西の間隔で、東京までは単純計算で3時間半程度だろうとタカをくくっていたら、結局4時間半ほどかかった。地元の電車の待合感覚を忘れていたからだ。僕の人生の大半は、実は瀬戸内海の外郭を描く山陽新幹線とJRの間にある。遠ざかっていく地元の風景に、いろんなものが流れていった。

 新大阪を過ぎて、東海道新幹線に戻る。見慣れた景色が車窓をとんでいき、少し安堵する。新幹線も乗っているのは一時間くらいでいいなと今回思った。途中、名古屋から隣に若い女性が乗ってきた。白いシャツに黒のスーツなので、就活生かと思いきや、座るやいなやパソコンを開き訴状?を作成している。どうやら弁護士のようだ。見た目は20代半ばなので、相当に優秀な人なのだろう。弁護士にいちゃもんをつけられて冤罪の憂き目にあうのは回避したいので、体積の大きな自分の身体を可能な限り縮小して東京を待った。

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 品川、東京と到着するにつれて背の高いシュッとしたビジネスマンたちが降りていく。なんというか標準化と平均化と一般化への同調圧力、猥雑さのない人工的な爽やかさ。僕と同じ種族の生き物とは思えぬそのフォルムに、自分がおのぼりさんであることを思った。

 久しぶりにみる東京のビル群は、いつも通り僕にとって楽しいものだ。とにかく、巨大な構造物というのは楽しい。中央線に乗り換え、約束のピザ屋さんへ。創価学会の町で行われるシンポジウムに出席したが、やはり午後に出て夕方に到着するという距離は疲れる。足は痛いし。

 シンポジウム自体は十分に興味深く楽しいものだった。今朝会った地方都市の素朴なおばちゃんのような在り方と、東京の均質化された洗練さと。僕はそのどちらでもない有象無象であるが、何か対象的なものを見た夜だった。

 宿泊は細君が子供たちとお泊りに出かけているという学生時代の友人宅へ。彼の仕事の話やら自分の話をした。早く寝ようと思っていたが、結局12時過ぎまで話したので、寝たのは一時を回ってしまった。