どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:帽子パン、市場、桂浜

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3月30日 月曜日 快晴

 昨晩の疲れもあったが8時前には起床。身支度し、去年もいった帽子パン発祥の店とやらにいき、皆の朝食として惣菜パンをいくつか購入。食べながら写真の整理やら何やら。10時半より受難週の礼拝ということで、参加する。何人かの信徒さんが来ていた。聖体拝領のパンをブランチに。ちなみに種が入っていないので、ウエハースみたいになっている。カトリックと聖公会ではウエハースだが、正教会とプロテスタントでは膨らんだパンを使う。

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 司祭の話の中で、聖公会の会堂の赤い通路は巡礼を表すと言っていたが、その通りだなと思った。片道約350km、高速飛ばして太平洋が見えるところまで来たのだ。巡礼である。

 礼拝後、着替えて後片付けする司祭と雑談。すべてのことに手順があり所作がある。映画「大いなる沈黙へ」と等質の硬度の高い結晶化された歴史の肌触り。雪山の奥地でも太平洋沿岸の南国でも、その煌めきは変わりない。灰の水曜日用の棕櫚の十字架を記念でもらった。灰の水曜日に礼拝に出ることはないから、手帳にでも挟んでおこうか。

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 見ていると、司祭の長女ちゃんが寄ってきた。どうやら遊んでいた風船が割れてしまって悲しいらしい。3歳前後だと思うが、初対面の僕でも6割から8割の割合で聞き取りが可能である。言語習得の可能性を思う瞬間だ。

 日本人が英語しゃべれない云々というが、一般に、言語を習得するには絶対学習時間というものがある。10年以上前に、教育委員会の英語教師から聞いた話だが、日本人が中学生から大学生まで英語をやっても、話せないのはその時間に到達していないからだそうだ。なるほど納得である。

英語が使えるようになるには、どのぐらい勉強すればいいのか--最短は380時間 | 日向清人のビジネス英語雑記帳

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 たとえば長女ちゃんが、文字通り右も左も分からぬこの世界に出てきて、自我を持ち、自発的に自由に動くようになり、そして伝わるか伝わらないかは別にして思うとおりに話すようになるのに、三年はかかったということだろう。そう思えば、どんな言語でも三年もあれば、三歳児くらいにはなれるのかもしれない。分からないけど。

 個人的に言語の習得は、住みついてしまうのが一番だと思う。必要があれば、覚えてしまうものだろう。長女ちゃんの日本語の今後の豊かな展開を祈りたい。

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 昼食をどうしようかと外にでると、博士が子供たちと遊んでいる。博士はアナ雪が大好きなのだが、どうやら長女ちゃんも好きだったらしく、博士スマホから音楽が聞こえた瞬間、役に入り切り振付つきで、レリゴーレリゴーと熱唱。子供にここまでの影響を与えていたことに驚愕しつつ、駐車場を歌いながら走り回る長女ちゃんと博士に笑ってしまった。

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 昼食は、高知観光では必須のひろめ市場。噂では平日であろうが何であろうが、朝から人々が飲んだくれているのだとか。で、噂通りだった。

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 高知なのでカツオのたたき。だが、高知のカツオのたたきは、本当に一味違う。藁焼きで塩で食べるのが普通なのだ。そこに薄切りニンニクやおろし生姜など薬味を加えて食べる。こればかりは絶品だ。去年、食べたとき衝撃を受けたが、同居人たちも同様だった。あとは鯨ベーコン、うつぼの唐揚げ、あと有名だという餃子を食べた。餃子もかなり美味しかった。

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 高知にはマンガ甲子園なるものがある。毎年一回、一コマ漫画はプレートとして飾られるのだ。続く限り、毎年一つ増えていくのだ。将来の有名漫画家がここに出るかもしれないと思うと、興味深い。センスも皮肉が聞いていて良い。

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 午後、同居人たちの意向で桂浜へ。坂本竜馬がここまで売れた理由は明らかに司馬遼太郎の小説だと思うが、何にせよ、ぜよぜよ、高知ぜよ。途中、すでに山桜は満開で、山稜のところどころに花が咲く。春だけどなんか夏だ。通りすがりにお遍路さんがいたり、どう見ても完全にプリ●キュアのパクリである地元パチ屋の看板なども見た。また猫さまが歩いていたので、声をかけたが無視された。この点、佳子さまに通ずるところがある。きっと、やんごとなき土佐藩の出の御方だったのだろう。下賤の我が身を恥じ入るばかりである。

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 天気は快晴、竜馬像は逆光で見えないが、水平線が美しい。高知は陸の孤島だと言われるが、このように太平洋を見ていると開けてはいるが、アメリカ大陸あたりまで何もないのだから、海に対しても孤島なのかもしれない。もっとも明治までは黒潮を用いた海商の要衝だった。鉄道の整備、自動車の普及など時代の波にさわられて、今のような侘しい南村となった。

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 近代国家と資本主義経済に単位として組み込まれることで、豊富な水産物と年に二度収穫できる田畑、宵越しの金を持たず気持ちよく生きた気概ある人々の街は、格差社会の底辺へと追いやられてしまった。激しく押し寄せる太平洋の波力が、初夏さえ感じさせる天候に、土佐の秘めた思いを泡立たせていた。

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 桂浜の広さは分からないが相当広く長い。紺碧のうねりを前に司祭の長男くんが立ち尽くす。海と対峙する男の背中である。誰もが彼のように海をみたことがあるはずだけれど、僕はもう思い出せない。父と海を見つめる長男くんは何を思うのだろうか。

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 快晴にして陽気な天候のせいで、アイスクリンもバカ売れらしい。露天商のおっさんも眩しそうに座っていた。アイスクリンは小学校の運動会の記憶だ。今回の高知訪問が、全体として鮮明なノスタルジーに彩られている。食べなくては思い出せない味だった。

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 その後、少々高いところにある神社へ行き、土産物屋などに立ち寄る。有名なジュースらしいが、美味しかった。記者の友人が、高知は素材が良いものが多いので、相対的に職人の腕は落ちると言っていた。よく考えると凄い話だな。帰宅後、疲れて少し寝る。普段ひきこもって読書とネットが日常の身としては太平洋の日射しは少々刺激が強かった。

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 夕食は再び刺身。司祭がひいきにしている魚屋があるらしく、そこに頼んで見繕ってもらったそうだ。確かに旨い。仕事が終わったというので、記者が再び来て、みながまた飲み始めた。12時を回った頃だろうか、突然誰かがやってきた。なんでも教会の電気がついていたので、誰かいるのかと思って立ち寄ったのだそうだ。信者の方ではなく、近所の人らしい。田舎らしい関係性だが、宗教施設に限っていえば、この開放性は重要なのではなかろうか。夜一時、眠気も頂点なので、市内のバーに繰り出すという司祭と院生氏と記者を見送り、僕は先に寝た。博士は仕事か何か、スマホをいじっていた。

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