どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:市内散策、殉教の碑、古本を買った

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5月2日 土曜日 快晴

 午前中、ゆっくりと過ごした。昼食はタコライスを食す。午後、市内を少し散策。東北大の正門前を通る。東大、京大に次いで設置された三番目の帝国大学。司馬遼太郎の言葉でいえば、東大は文明の配電盤として、また官僚養成校として機能した。対して京大は、学問の自由を標榜し、それに続いた東北大は研究第一、門戸開放、実学尊重の三本柱で旧制高校の出身者以外を受け入れた。

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 旧帝大としては女性を最初に学生として認めたのも、東北大だったはずである。その学風を感じられるほどに仙台に親しいわけではないが、いつか、そういうものを肌身に感じられたらおもしろいなと思った。そういえば、高校生の頃、東北大学出身の人が教会に来ていた。おもしろいお兄さんだったのを覚えている。今どうしているのだろうか。

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 仙台市内は広瀬川が蛇行しており、河岸沿いを歩いた。中々に美しくのどかな光景である。陽気に誘われてか、おっさんが甲羅干しをしていた。

 川沿いを歩いていると花壇という地区にあたる。花壇という名前のせいか、草花が茂っている印象があり、中々に楽しい。つか珍しい名前である。そして、歩いていって昨日きた市営博物館の手前の大橋にて、切支丹殉教の碑をみつけた。たまたま歩いていたのだが、ちょっとした驚きと共に感慨もある。400年前、支倉常長が出発しローマにいたり帰路にある頃、常長の地元では切支丹の殉教者が出ていたのだ。

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 400年前に一定の国家システムが機能していたことに驚いた。仙台という土地は、北海道に行ったことのない僕にとって国内の北限地なのだが、そういう自分には遠い場所での400年前の出来事を思った。その後、古本屋へ行き、資料を少々買い帰宅。散策日和だった。

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