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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:邂逅、石巻、石ノ森萬画館(被災地巡り)

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8月11日 火曜日 曇り時々晴れ、のちに雨 被災地へ

 朝10時過ぎ、少しだけ年上のネット仲間より連絡。11時に待ち合わせだったが、遠くから出てきて下さったのもあって早めに到着したとのこと。わざわざご足労いただくのは申し訳ないばかりだが、本当に助かる。

 とりあえず映画館のあるモールへ行き、そこで珈琲。経歴のおもしろい方であり、話の楽しい人である。いま話題の恐竜映画を一緒にみませんか、と思ったが、あまり興味がなかったようで、提案通り、日本三景の松島にてカキフライを食べた。以前来たときは食べなかったので松島の牡蠣を食べられて満足。単純な印象で牡蠣を食べるのは真冬のイメージがあるが、年中食べられるのだろうか。東北は寒いので問題ないのかもしれない。よく分からないが。

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 腹も満足し、今度はネット仲間も僕もいったことのない被災地・石巻を訪れてみた。目的としては、石巻にある明治以来の日本最古の教会建築である石巻ハリストス正教会をみること、その横にある石ノ森萬画館に行ってみることである。

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 復興車両であろう大きなトラックとすれ違ったりしながら目的地へ。到着してみると萬画館はあるが教会はない。これは流されたか…と思って萬画館へ歩くと、教会の跡があった。この流された教会跡というのに一気に被災のリアリティが増してきて、胸を衝くものがあった。ただし今年度には復元に着工すると聞いているので、そこまで悲観すべきものではないかもしれない。

石巻ハリストス正教会・聖使徒イオアン聖堂:日本正教会 

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 亜使徒ニコライ以来、大津事件・日露戦争がなければ東北全域は正教圏となっていたように思う。しかし歴史はそうは動かず、いまに残る経緯となった。余談ではあるが、阿呆学部出身なので大津事件は日本における三権分立の先駆けとなったと曖昧に記憶している。国家か法かという、いささかナイーヴな二者択一は戦後70年を迎える現在においても呪いのように、この国のかたちを規定している。にしても、もしあのとき皇太子が東京に上り、ロシアとの関係が深まっていた場合、日露戦争は回避されたのだろうか。もしそうなっていたら、明治以降のこの国のかたちの半分「戦後」は違った世界になっていたのかもしれない。

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 石ノ森章太郎は「マンガ日本の歴史」の作者として僕は知っている。小学生の頃、親に全巻を買い与えられて読んだのだが、司馬遼太郎と彼の区別がついていなかったのは僕だけではなかったと信じたい。司馬遼太郎を少し読むようになった後、石ノ森章太郎との区別がやっとついた。

 石ノ森萬画館の展示は入館料800円にふさわしい内容だった。つか、ゴレンジャーも彼の作品だったって知らなかった。サイボーグ009と仮面ライダーの印象が強い。

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 人によるかもしれないが、手塚、藤子、赤塚は分かるけど、松本零士、永井豪、石ノ森章太郎あたりは、地味に区別が難しい気もする。単純に知らないだけなんだけど。ちょっと笑ってしまったのが、石ノ森章太郎はマンガの王様らしい。神様は手塚治虫なんだろうけど、こうなると皇帝は誰になるのだろうか。

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 ネット仲間氏も十分に満足したようで何より。帰り道、石巻を襲った津波の爪痕をみる。サマリタンパースというキリスト教系の国際災害救助が来た痕跡をみた。現在、被災地のボランティアを続けている人々は宗教者が多いと聞く。僕の身近でもそうだと感じる。

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 元々の岸壁から2mほどだろうか、文字通り岸壁が削られて捲られたままになっている。かかった水圧の大きさが無言のまま伝わってくる。歩道橋には、四年前からそのままになっている曲がった配管などがある。信号設置部分に至った津波の浸水、崩れたままの山肌、三階まで部分的に新しくなった家々の壁、不可逆の痕。

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 すでに暗くなりつつあったので、女川までは行かなかった。地元の人によれば、女川はすりばち状の地形であり、高低差は約20mになるらしい。行政側はそれを埋め立てる計画をしているらしいが、自治体範囲の七割が水没した町の今後はどうなるのだろう。女川の復興速度が一番早いらしいが、人口も一番ないときく。事実として、ビルが横倒れになり最大値では30mの津波が押し寄せたそうだ。

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 市街地に戻りながら、当時、沿岸部の製紙工場が機能を失ったことを思い出した。被災の前には決して戻れない。神戸はもともと人がいる町だったから復興できた。国内第二の関西都市圏2500万人の一部だったからだ。しかし、仙台を中心とした広域都市圏200万人では石巻を含む過疎地域の復興までを担うのは厳しいのではないか。

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 ネット仲間が夕張の話をしてくれた。市政としてデフォルトし、ゴミ収集なり焼却ができなくなってカラスがわいた。しかし、ほどなく人口流出と高齢化が進み、ゴミの量と処分場の総量がバランスするようになったそうだ。市場は適正化される好例であるが、それは住民の幸福度にはつながらない。夕張市の現在は、この国の近い未来なのだろう。復興という語に仮託された希望は、何をもって満足するだろう。

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 曇り空の中、雨がぱらつき始めた。田園地域に馴染まない人工的な建物を通り過ぎたので振り返ると、被災者のための集団移転住宅地だった。日が落ちて雨が強くなる。タブレットを確認すると川内原発が再稼働したというニュースが目についた。

 市街地に入りネット仲間と夕食。回転寿司を食べた。一皿90円である。誰もが、こうやって誰かの人生を食べながら生きている。わさびと醤油と脂の味が疲れにほどよく沁みた。外に出ると雨はあがっていた。

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