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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:バイトで難民、District9

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Miles de refugiados llegan a Austria y Alemania desde Hungría - eldiariomontanes.es

9月10日 木曜日 曇り

 基本的に一日休みだが、午前中ネットみて、以下のごとくもやもやした。語呂がいいのでタイトルはこれにした。後悔はしていない。

 時事問題についてピリリとした、またはじんわりするような駄文を献上するバイトが月に一度くらいやってくるのだが、難民について書きたいと思っている。が、書けない。一回二千円、500字に満たないものを書くのだが、だからこそ言葉少なに語りたいというか奥行きを感じさせるものにしたい。読者にとって発見のある文章だとか、自分ではしなかったろう切り口を見せてあげるような文章を献上したい。だが、難民については、まさに僕が難民になるレベル。

 なんみーん、あみーん。いま気付いたけど、難民とアーメンの正教系の発音アミンをだらだらいってたら、南無阿弥陀仏になるかもしれない。バイトで難民です、はい。

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 で、中東の難民について。大前提として思うけど、みんな、そうでなくても生活きついはず。つまり、コレ以上、自分の生活が辛くなるような選択は出来ない。従って税金が増えるとか環境が変わるような選択はできない。

 日本がシリアの難民を受け入れられない理由というは、端的に物理的に遠いし、歴史も遠い。これ、例えば、北朝鮮とかフィリピンの難民が出たときに、ドイツに受け入れろって言ってるような話なんだよなぁ。ドイツには彼らが直接来てるけど、日本には直接来てないじゃん、それに何kmあると思ってんだよ…。あと、中国にもアフリカ大陸にもロシアにも広大な土地があるだろう。それにイスラム圏にも要請しろ。日本は端的に一番遠いだろ、そりゃ、ドイツも日本も難民たちよりは金持ってるだろうけど。

 それに、ドイツやフランスってイスラム教徒を足蹴にしてたと思うけど、どうなったんだろうか。イスイス団から逃れたシリアの穏健なイスラム教徒たちが、逃れた先の欧州でネオナチや国粋主義者に弄られるとか最低のパターンなわけで。さらにもっと言うと、ドイツにおけるトルコ人の扱いは?飛行機で一時間先の、地中海を隔てたアフリカの人々は?あとギリシャの経済難民とかはどうなったんだっけ?

 そう思うと、いまの欧州は人道という幻想=同調圧力に酔っている。そう考えると正義づらした成金であるアメリカのほうが、まだマシかもしれない。ジャイアンかスネオ、どっちか選べみたいな。日本にとって今まで一番楽だったのは、とにかく金を払うということであり、たぶん、それが限界だったのではないかと思う。つまり、日本は冷淡非道な金持ちであることを選んできた。それでいいと思うけど。

 200年後か何だかに、いわゆる日本人は二千万人に満たなくなっていく。そうならないためには、東南アジアや南米の人々のように、がんがん混血していけばいい。つか、純血(たぶん純潔も)なんてのは幻想なんだから生物として強くなっていくってのは一つのアリな方向性じゃん、とか。

 ただ夏の花火のような美しさを目指すなら、このまま、ずっとしぼんでいって、空いた列島には自然と誰かが入って来るから、彼らに渡せばいいんじゃないだろうか。古代のピクト人がpictureという単語と壁画を残して消えたように、某大な量の電子text情報を残して日本も消えていく。そういうのも理解できる。日本沈没の田所博士的な。


 個人的に京都に住んでいて良いなと思うのは、人口の一割は学生であり、同時に修学旅行生なり外国人観光客が随時大量にいる。街を歩けば、外国人を目にしないことはない。で、それが自然な感覚になる。

 もちろん旅行客と住人には区別があるだろうけど、そういうのも段々減っていくんじゃないかな、みたいな。たとえば、僕の祖父母は80を過ぎても畑が荒れるのが耐えられなくて、土いじりに出ようとする。僕にはそれが理解できない。

土地へのこだわり、言語へのこだわり、宗教への、アニメへの(ry

 難民問題に合わせて、政権回りの賛否を問う左右問題で知人同士がonlineでは舌鋒鋭く反目し合い、別の知人は、原爆の被害者補償と被爆に関する映画で日本人については33本もあるのに韓国人被爆者については一本もないことを嘆いていた。震災時の外国人みたいな話なのかもしれない。

 僕も異邦人として外国に住んだことがある。幸か不幸か、根強い宗教的なコミュニティの中だったので、皆、親切ではあった。しかし、奨学金のためにゴミ捨てをしていたら呼びとめられて、食べ終わって空いた皿を台所に持って行けと言われたこともある。アジア人だからだろう。また上手くない発音について、流暢な英語でからかわれたこともある。そいつは今牧師になっているが最低野郎だ。神に詫びろ。

 つまるところ、難民なり移民なり見た目が人間であるというだけの他者存在は、人間にとって互いに迷惑でしかなく距離が必要であるという話。人道に酔うことが出来ても結果としては、問題が増えるみたいなことにしかならない。

 しかも問題というのは、大方当事者の意思を越えてなし崩しになっていくので、シリアの人々はともかく遅かれ早かれ、日本にもボートピープルみたいのが来るんじゃないか。

 来たものは殺す以外の対処を選ぶならば、結局一緒に生きていくしかないよねとか。そうこうしてるうちに難民も移民も僕も彼も皆、人生を卒業して、それでも地球は回ってく的な仏様の世界、またはイエス様戻って来るまではくるくると。つまりはニール・ブロムカンプの第9地区的終演、または周縁。