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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:冥土カフェ、ポンバシにてカレー、帰宅

宗教・歴史 御屋敷おかえり日記

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11月25日 水曜日 晴れときどき曇り

 昨晩、終電を逃してしまったので友人宅にて起床。反省会がてら作家氏たちがなんばで集まっているというので会いにいった。途中、高知の友人司祭が大阪にいるというのでJRにて挨拶。喫茶店の店員さんが融通きかずでビビった。その後、日本橋へ向かいお屋敷へ。前回忘れていた会員昇格をついに果たした。メイドさんやらオーナーやらに、おめでとうと拍手されて、思わずエヴァTV版最後のような気分になる。満足。

 昼食はカレー屋へ。食べようとしたら、おっさんに声をかけられた。「すいません」…デブで場所とっててすまんな、狭かったか…と荷物を避けてちょっと席を詰めた。しかし、さらに、おっさん「すいません…」…。何なんだと声する方向を向いたら「ここは甘党の店ですか?」とのたまう。???と思っていたら、また同じセリフを繰り替えしたので、思わず「カレー屋ですけど…」と言った。おっさんは、満足したのか出ていった。謎だし、こええよ。

 食後、新幹線で戻る著名人の時間をみて、御堂筋なんば付近の喫茶店にて珈琲。それぞれ電車に乗って、夕方4時、無事に帰宅。疲れた。夜、信仰とは脱自した理性であることについて、ぼんやりと考えた。宗教において理性が脱痔するというのは、専門家でないから知らんけど、以下みたいなことだろう。

 たとえば目の前に「コップがある」という認識をAとしたら、「私はコップを見ている」という認識がBで、さらに「コップを見てる私」というメタ認識はCだと理解できるのが通常の理性。で、理性が宗教において脱痔し信仰(=宗教的理性)化するというのは、その認識Cがさらに永遠と時間の中で相対化されてDになるということ。つまり、認識Dは、究極的存在(神・仏・超越・永遠)が「コップを見ている私=認識C」を見ている、ということになる。このとき、通常理性は、通常的な人間の条件(歴史)を超えて、超越的次元(永遠)を獲得する。従って、理性が脱自的に信仰となる。つまり、人間がその有限性において有限性を認識することで、無限・無制約的なものに触れてecstaticになるということだ、たぶん。つまりメタ・メタな理性になるわけだが、当然、話は滅多々々になる。

 夜、家賃を振込んで、お土産にもらった柿の葉寿司を食べた。本当に美味しくて笑ってしまった。献上柿の葉寿司、ぱねぇ。

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