どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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にっき:宗教の社会的機能、ポンバシでの一年、お疲れ司祭さま

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1月16日 土曜日 晴れ

 昼過ぎまではゆっくりと。学問的関心から院生氏と昼を食べつつ、創価学会が最近発表した彼らの布教?動画をみる。まず驚くのが、映像などがプロってること。これはプロの仕業やで。金持ってるんだろうなぁ。

 創価学会が福音派を真似て布教に励んだという話はよく聞く。それは、新約聖書の使徒行伝を元にして天理市を形成した天理教にも似ているかもしれない。つまるところ、一つの宗教が社会に根付く際には、ある程度までは似たような段階を経るということであろう。余談ではあるが、このあたりについては以下の本をオススメする。キリスト教と統一教会の比較というのは斬新でいい。在米時に英語版をみて、最近になって邦訳を読んだ。長年、謎とされてきたキリスト教帝国ローマの形成への一つの答えとなっている。

キリスト教とローマ帝国

キリスト教とローマ帝国

 

  創価学会は、すでに数百万人を擁するといわれる宗教である。最近、作家として鮮烈なデビューを飾った友人のことばを借りれば、彼らはもはや新興宗教ではなく、既成宗教である。言われてみればその通り。だって政党を持ち政権にまで食い込んでいるわけだから、そりゃそうか。

 しかし、動画を見て思ったが、たとえばここで言う「学会」が他の宗教でもたぶん当てはまる。たとえば教会、お寺とか。鬱屈した個人がいて、その周囲に親切で善意の宗教的共同体があり、その共同体は、一個人では如何ともし難い現実に対処するために祈る。結果、祈りの中で個人も共同体も含む現実の受容なり内的葛藤からの解放なりが起きて、人格的変化が起きていく。そして、それを人間の成長として理解する。別に創価学会とは何の縁もないし、彼らが折伏やら何やらで問題になったのも過去の話だから、僕としても最近は偏見も薄れてきたのだが、社会現象として非常に興味深いのは事実だ。

 夕方、西の秋葉原、電気街ポンバシへ。元・同居人社会人氏と会い、贔屓にしているお屋敷の一周年記念会へ。僅か三ヶ月の同居人であったが、彼とは良い友人となった。幸いなことである。

 夕食は、ポンバシにて一年を迎えたメイド喫茶へ。欲望が肯定される街というのは、要するに良くも悪くも人間を人間として認める懐があるということだ。サクラメントとは目に見えない神の恵みを目に表したかたちをいう。従って、理論的には被造物世界の全体を言うことが可能である。つまり、公共財=サクラメントである。このあたりは改めて考えたいが、予想を超えた意義深い象徴を学ぶ夜となった。

 12時には帰宅。結婚式を終えて疲れ果てた司祭さまとスカイプでだらだらと。いけなかったコミケで出た同人などをネットで漁りながら話して寝た。