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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:うどんうまい、京都性、カガミガミ

京都

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2月28日 日曜日 晴れ

 朝、礼拝へ。今日もカトリックに出席。後ろに研究室の先輩がいて驚いた。昼食は、久しぶりにイカ天56円を買って、うどんを食べた。美味しい。立派な太い白ネギも安かった。あとなぜか刺身も安かったので、小さいのを一つ買って食べた。豪勢な昼食である。

 午後、また歩きながら本でも読むかと思っていたら科技系D2のネット仲間より連絡があり散歩ついでに会ってきた。自然言語処理が専門の人なのだが、その彼が、最後は人間神頼みと言ったのには笑ってしまった。まあ、そうなのかもしれない。博物館を案内した後、出町柳から三条まで歩きながら京都性ということについて考えた。

 京都を京都たらしめているのは、権威と権力という二つの中心の不在性、すなわち、伝統的権威と政治経済が他にあるという、その空洞性にある。つまり京都性というのは、ある種の空洞によって出来ている。そして、その空洞性は、司馬遼太郎なり丸山眞男なりが見た日本の空洞性に重なっている(適当)。で、一方、その京都性の地形的前提は、御所と鴨川に依存している。なので、たとえば、鴨川を全部埋め立てて高速道路にし、川端と河原町を歩道に変えて、御所を駐車場にしてしまうと、たぶん京都は京都でなくなるだろう。あり得ないだろうけど、そういう主張をする狂った市長候補とか出てきたら、どれくらい票を集めるか、ちょっと興味ある。三条に到着し、ネット仲間とはここでお別れ。彼は博論作業をやって帰宅するらしい。僕は三条交差点の古本屋を物色して100円で一冊買って戻った。合計一万歩、約5.5kmか、よく歩いたなぁ。

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 夜、フォイエルバッハの宗教批判にいたる流れをざっと要約。大雑把にもほどがあるが、良い勉強になった。ガルパン、カント、シュライアマハーと段階を経るとなるほどと思う。「神は人間の鏡」であり「神学の秘密は人間学である」というフォイエルバッハの主張は論拠がないけれど、強い説得力を持っている。にしても、もし神が僕を鏡に写した姿であるならば、僕はその神について同情の念と涙を禁じえない。

 深夜、珍しく起きている院生氏にカントのカテゴリーについて質問し、予定論を擬似二性一人格論的に説明できるという話をして医学部生氏に研究ですかと聞かれ、いえ雑談ですと答えた。ただの与太話である。布団にもぐってから、村上春樹で卒論を書いたという人のニコ生を聞いて就寝。ねじまき鳥クロニクルの二巻ラストは非常に良かったし、それが三巻になるとまたおもしろかった。小説を読むという行為をどう考えるのか、中々示唆のある世界だと思った。

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