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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:土曜日、一冊読了、涅槃=the real?

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3月26日 土曜日 晴れ

 一日読書。2015年度の前期授業以来の読み残しを解消。ジョン・ヒックの宗教多元主義、無事に読み終わった。うーん、微妙だな。授業を受けていた際にも思ったけれど、とにかく用語がいちいち大きな単語なので何とも言えない。おそらく実利的な意味での対話の場の構築、あとは批判的実在論と脳科学との関連で、彼の功績が認められるということだろうか。個人的な印象だと、結局、ヒックは一神教的枠内からは出ることができなかった感じ。『「自我中心から神的実在中心への人間存在の変革」によって涅槃に到達できる』って表現は、あり得なさそうなんだけどなぁ。「神的実在」がThe realらしいが、どうなんやろか、である。信頼できる仏教関係者が数人いるので、彼らに質問を投げてみた。すると、以下のように返事を頂いた。

友人A

 「涅槃」の語義は、炎を吹き消す、すなわち煩悩の炎を吹き消すということなんですね。そうすることによって輪廻から解脱する、すなわち生まれ変わりを引き起こす因果関係から抜け出て、二度と生まれ変わらなくなるわけです。生まれ変わりを引き起こす因果関係というのは、一般的に十二縁起と言われるものなのですが、その最も根本的な原因が「無明」という煩悩なんですね。

 ここでいう無明は特に「我見」と言われるもので、ざっくり言うと自我への執着です。この執着を断つためには「無我」を体得することが必要です。ここでいう「無我」は単に自我が存在しないということではなく、独立不変の実体としての自我が存在しないということです(なので身体と諸々の精神的作用の相互依存関係(縁起)において自我は存在します)。このように考えてくると、「自我中心から神的実在中心へ」の部分を「我見から無我へ」というように解釈できるならば、涅槃に到達できるんじゃないかと思われます。私は涅槃に達していないので、ほんとのところはよく分からないですけどね(笑)

友人B

 如実知見を the real をありのままに見ること、と考える人はいるかもだけど、定冠詞の real は単一性の含みを強く持つので、「諸法が顕わになる」というゴータマ・ブッダの悟りの境地とは異なる、と一般には考えられるのではないでしょうか。

 解釈によるが、ややネガティブというところ。つか、要するに通約不可能だって話だと思うんだよな。僧侶である友人Cからは、一度、この話題を肴に飲みながら話しましょうと返事がきた。そうなると、ちょっと僕も精読して理解と質問を洗練してから行かなくてはならないが、良い機会なので伺うつもりである。

  午後、知人より引っ越しと就職の話を伺った。単位取得満期退学で某所で講師をやっていくらしい。文系院生など、博士か廃人にしかなれぬご時世である。仕事があっただけでも良かったし、優秀な方なようなので、ぜひ続けて願うところを研究し発信していってほしい。就職できる者は幸いなり。夕方、一通り読了し、知人たちが夕食に集まっているというのでバーミヤンへ。サラダと餃子たべて上場企業勤めは大変なんだなという小学生並みの感想を抱きつつ帰宅。元同居人社会人とスカイプで話して寝た。

宗教多元主義 増補新版

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宗教多元主義を学ぶ人のために

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