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にっき:学歴コンプと美人、歩いた、真選組

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3月31日 木曜日 快晴

 朝、今度、院生氏が観光案内に付き合うという韓国の研究者の人の話で盛り上がる。あくまで盛った話だろうが、その人は学歴コンプがあるらしい。確かに韓国は日本以上の学歴社会だと聞く。もっとも、その人はソウル大に入れなかったことが挫折らしく、結果、学位をとり仕事する中でハーバード、オックスフォード、ハイデルベルグを渡り歩いた。正直、学歴コンプなんかで、そんなことがあり得るのかと思って、思わずお茶を吹いてしまった。どう考えたって超エリートの経歴だと思うんだが。

 一方で自分について考えてみるといわゆる劣等感はないにしろ、出身大学によって自分を社会的に位置付けるというマインドはかなり強力に働いている。日本社会におけるアイデンティティ形成の何割かが、学歴にかかっているのは否めない。ただ端的にいえば学歴とは美人と同じ話で、要するに皮一枚、表面の話であり、その人の人格とは無関係だ。そういう意味で、文化的に美人としてカテゴリーされた女性が、内面を評価されず外面に縛られて精神をヤッてしまうというのは、さもありなん話だと一人ゴチた。 

 珍しく取りとめのない話を院生氏と長くしたが、あとは、解釈学の課題と人工知能が通底する話や「シュメール」という表記が、原音では「シュメル」であるにも関わらず伸ばした理由について。せっかくなので以下に引用しておく。

我が国では「シュメル」ではなく、「シュメール」と「長音記号」を淹れて表記されることが多いが、これには理由がある。第二次世界大戦中に「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した。そこで我が国におけるシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生(京都大学名誉教授)が混同されないように音引きを入れて、「シュメール」と表記された。この話を中原先生から三笠宮崇仁様は直接うかがったという。

 院生氏と残りものでうどんを食べて学校まで歩き、ぐるっと回って研究室へ。PCのプロテクション更新をさっと済ませるつもりが2時間もかかった。汗くさいオッサンが横にいてJDSたちには、さぞ迷惑だったろうが、いたしかたなし。帰り際、方向が一緒になったので、久しぶりに指導教官と少し話した。近況として基礎を補強するために最近はひたすら読んでいることを伝えた。明日から4月である。がんばらねばなるまいて。

 歩きはじめたら構内から出ようとする博士の車を発見。そのまま家まで載せてもらった。明日には出発する博士であるが、なんとか準備できたらしい。とはいえ6月には冠婚葬祭と学会がかぶり帰国するらしい。つまり二ヶ月の不在なので、長期の調査と変わらない。しかし少しずつ僕の日常が終わっていく感じじである。帰宅後、掃除。砂肝と白ネギの塩焼、割引刺身を食べて銀魂の最終回をみた。さらば真選組!続編ないのはさみしい。