4月10日 日曜日 曇り
朝、起きるもまだしんどい。教会にいくか迷ったが近所のカトリックへ向かった。顔見知りのシスターもマスクをしておられたので、風邪が流行っているのだろう。礼拝中、何度か立ったり座ったりするのだが、それでさえキツい。シスターのように高齢になられると中々大変なのではないか、とぼんやりと思った。自分が病臥してこそかもしれないが、カトリックが世界最大の宗教集団になった理由、その普遍性というのは、こういうところにあるんだなと思いながらのミサ参列であった。たとえば、疲れている人や病気の人が出席しても無理やりに煽られたりしなくて良い空間、さっと帰れる場所というか。
ところで、笑ってしまったが、黙示録の朗読で『わたし[ヨハネ]は見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに多くの天使の声を聞いた。...そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。」』を読んだ方が、目が悪かったのだろう。玉座をギョウザと読んだ。ギョウザに座る栄光と謎に満ちた黙示的キリスト、いきなりなんか中華である。王なるキリストは餃子にましませり。
帰宅後、近所のスーパーで400円の焼き鳥丼を買って食べ、やはりまだしんどいので横になった。で、気づいたら夕方6時過ぎ。クスリを飲んで寝るというのを繰り返せば体調がよくなると云うのは本当なんだなと実感する。
- 作者: J.R.R.トールキン,John Ronald Reuel Tolkien,田中明子
- 出版社/メーカー: 評論社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
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だらだらとネットしていて、読後感という語がひっかかった。思えば本を読む楽しみって、読後感の快楽を求める行為なんだなと。この三か月くらいでそれに気づいた気がする。とはいえ、中高生の頃に初めて読んだ長編小説の池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』、大学のときにハマった『指輪物語』のシリーズ全体、または小学生の頃に好きだった『ズッコケ3人組』というのは、どれも読後感があったからこそ好きだったのではないか。
が、二十歳以降、前職や以前の専門にドハマりして、そういう読み方を忘れていたというか蔑んでいたかもしれない。そして、この膠着状態に潤滑油としてきたのが僕にとってのアニメだった。油を差された機械は当然回り始めるわけで、その回りつつあるのが、いまの人文学界隈の門前の小僧状態みたいな。
まあ、なんていうか、読後感とかその他にも楽しいことたくさんあるよね、みたいな感じである。結婚したいし、友だちほしい気もする。が、面倒なのは嫌。嫌いじゃないの、嫌なだけっていうなんかの歌詞を思い出す。というわけで、読後感ってあるあると思いだした。池澤夏樹のカデナを嘉手納基地付近のゲストハウスで読んだ夏。あの色に重なる幾多の瞬間的記憶。
どうでもいいが、足の芯は冷えてるのに、外は微妙に汗ばむみたいな現象は何というのだろうか。端的に体温調節できてないみたいな話なのか、まだ裸足だと京都は寒い。夜、はいふり!を見たが、これ「ハイスクルール・フリート」だったのか(白目) ガルパン艦船版であるが、果たして。超展開だったので個人的には気になっているし、視聴継続。