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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:授業、窓外に流れた、美味い一日

京都 宗教・歴史

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5月18日 水曜日 快晴

 朝、イスラエルの友人より頂戴した珈琲を淹れてみた。うむ、勘違いだと思うが中東っぽい味がしてうまい。午前中は授業に出席。20世紀のある分野における大家の思想をどう評価するか問題。なるほど、そう理解すれば良いのか。教授の鋭くかつ鮮やかな切り口に納得して帰宅。

 昼食はうどん、アジ南蛮を食べた。ぼーっと画面を見ながら、都市伝説やオカルト好きであることが、単なる趣味や娯楽で終わらず、情報リテラシーの低さや識字率の問題としてネットで表面化することを思った。午後、今度の研究会で使わせてもらう喫茶店に挨拶へ。途中の電車で寝落ちした。暑い。でもアイス珈琲という気分でもなかったので、抹茶アイスを食べた。美味しかった。

 夜、新大阪にて横浜より仕事で来ている友人と面会。楽しき邂逅である。辛子レンコンという謎の美味いものを食ってみたり、食べたことのなかったエイヒレ、アボカド天を食し、宗教やら歴史やらビジネスやらと話した。話題の中で宗教の目的という話があり、最近考えていたことでもあるので、さらっと書いておくと、

 ①各宗教の目的はそれぞれ違う
 ②どの宗教も目指しているところは同じではない
 ③各宗教を等価として見なすことは、たぶん危険

 だと思った。多くの宗教が、主格と対格で人類をとる。そこには普遍性への憧れないし確信が存在している。それは悪いことではない。普遍性を確信するがゆえに、国境や言語、性別やステータスを超えて「他者」を考えることができる。ステータスに縛りを入れた宗教もあろうが、それは決して普遍的宗教足り得ない。

 多元的状況は多元的なまま、すなわちカオスはカオスのまま、血と涙を阿鼻叫喚に散らしながら、人類は毎度、暫定的に、よりマシな最低・最悪をみつけて、落とし前をつけるしかない。まさしく鉄血のオルフェンズ。先日、メロンブックスで『鉄尻のオルフェンズ』という同人誌を見かけたが、買っていない。

 コンサル、中間管理職、坊さん、仏教研究者に僕という謎空間の中、美味しく楽しくごはんを食べて帰宅した。一年半ぶりくらいに合うネット仲間は少し太っていて、僕は、少しだけ痩せた。十年ほど前に、新大阪・江坂あたりの会社に新入社員で入ったが、数か月ですぐに辞めたことが、ふと思い出された。あの頃、一時間半もかけて通勤し、その間、ずっと聖書を読んでいた。そして、いまだに、聖書を読んでいる。リーマンの群れにまみれながら、色んな過去が地下鉄(高架上)の窓に流れていた。でも、あの頃よりも、少しだけ自分が確かになっている気がし、それは端的に加齢の結果だなと思った。地下鉄から乗り換え、無事に座席を確保して、京都に帰宅。暑かったり寒かったり、梅雨に向けて季節がアップを始めている。

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