6月15日 水曜日 晴れ
午前中、授業。後期パウル・ティリッヒの要約的内容。20世紀宗教哲学における泰斗の「問いと答え」の相関構造。人間存在"Being"は、その本質である有限性と自己再帰性のゆえに「不安」に悩まされている。古代においては死、中世においては罪、近現代においては無意味に、人は脅かされている。しかし、そこでティリッヒは古典的用語でいう「救済」を「勇気」として提示する、というお話。
これをアレントの政治観に雑に当てはめていうと以下になる。彼女のいうActionとは言論である。しかし、その言論には二つの不安が付きまとう。言論の不可逆性、予言の不可能性である。要するに一度言ったことは取り返しがつかない覆水盆に返らずと、発言の通りには実現しない言葉の発展的性格、人間の制御を離れる言葉そのものが持つ性格、または力の問題となる。結果、人は不安ゆえに「沈黙」せざるを得ない。しかし、そこで「勇気」として、不可逆性へは「赦し」が、予言の不可能性には「約束」が要請される。重要なのは、これが政治の話をしていることだ。都知事云々の残念な界隈にも適用できる話かもしれない。欧州の基底にあるキリスト教という巨大な伝統を継承する言語的信仰の一つ究極形態、それがティリッヒにあると思った。その是非は別にしても。
授業後、知人より頼まれた講演依頼を済ませ、帰宅後、取材依頼を完了。昼食は挽肉と白ネギにトマトを乗せた。午後、資料精読。タイトルはズバリ修論がらみなのだが、内容がいまいち面白くない。読了するつもりが読めず終わらず。
飽きたので昨日かった島らっきょを塩から出して、買い物へ。夕食は魚フライロールとアジ南蛮。あと楽しみにしていた粘土板実習用の粘土、カッター、割り箸を入手。夜、米ドラマ"Preacher"第三話を視聴。話が錯綜していて、まだ前提を据えている段階。長く続く話なんだろうか。期待である。深夜、何か新しい刺激がほしくて朝活を検索してみるも京都ではやってないらしい。つか、そもそも朝早いのは苦手だった。寝転がるも暑いせいか、島らっきょを食べすぎたせいか眠れず。最後に時計をみたのは朝四時だった。
- 作者: ハンナアレント,Hannah Arendt,志水速雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/10
- メディア: 文庫
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