どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:人文蝉、坊さんと会う、これがUFOだ!ゲーム

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7月9日 土曜日 大雨のち晴れ

 朝、サークル活動のため大阪へ。大雨なのはキツかったが、電車に乗れば、あとは地下ばかりなので、問題なし。そう思うと交通インフラすげえな。乗り継ぎがよく10分前に到着。雨だし、ひとりで本を読むことも想定していたが、開始当初より5人が来てくれたので良かった。嬉しかったのは、飛び込みで50前のオジさまが参加してくれたことである。個人的に50代、40代のオタ話は貴重だし、それをぜひ聞きたいと思っている。科学と魔術が交差するとき的にオタクの世代間交錯はが、よい俯瞰なり角度をズレの中から見出せばおもしろいやんけ!と思う。

 かなり色々と雑多な話をしたが、興味深いと思ったのは、メタ視点で俯瞰し過ぎて相対主義のドツボにはまり動けなくなるという20代若者の実存。コップの中に水がある、そのコップを見ている私、その私を理解している私、その私...を無限増殖させた極点が、たぶん神だったりするわけだが、そこに上って降りれないという話。問題はふたつ。第一は、そのメタ視点の範囲が、実は観測者本人の視界に限定されていること、第二はコップの水を俯瞰することが重要なのではなく、それを飲むか否か、飲まないならば人に渡すかどうか判断するという点が重要だという話である。もちろん水を飲まず俯瞰するのは個人の好みなので、それで良いわけだけど、喉渇いてるのに水飲まずに眺めてるってのも妙な話な気がするわけで。今度会うことがあれば、ロールズの正義論とかを勧めてみて、彼が読んで終わったら内容をさわりだけ教えてもらおう。

 他には、信仰を持ちながら宗教を学問的対象とするところに齟齬なり変化はあるか、という話。確かに変化や変質ともいえる点はあるが、それも切り口の問題なので、別に変わっていないといえば、そうである。他者からしか見えない話かもしれない。

 事実上の初回にしては盛会のサークルのあと、近所を仕事の合間に通りがかった坊さんが会いにきてくれた。いま会いに来てくれるお坊さん、YGS遊行僧48、プライスレス。坊さんとの近況を交換したあと、持ってきた本を読もうと開いたが、何か疲れたのでぼーっと外を眺めて、喫茶店オーナーと雑談し一日終了。結果、なぜか八月に怪談イベントに出ることになった(白目) 帰宅後、初めてヤフオクで落としたUFOカードゲームが到着。院生氏、高知くんとやってみたが、なかなか面白い。北海道にあったセントラルホビーというプラモ屋が生産していたゲームらしい。矢追純一が全盛の頃である。

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