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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:休日、ポケモンGO!、更新

8月3日 水曜日 晴れ、くもり、夕立

 朝、引越し先選定のために表紙の違う広告をもらうも中身が三つとも同じだった...(白目)。しかも留学生向けにと言いながら「Don't think, Feel..」って書いてた。不動産選びで、それはやば過ぎるやろ... アカンて。昼飯はそうめん。院生氏がドイツ哲学の薫陶を受け、イタリア解釈学を研究した結果、最近は平田篤胤の国学にハマっていて、枢軸国悪魔合体が完成しつつある。で、少し冷静になったのか「頭冷やすわ」といって、淡翠色の冷凍ハチマキを巻いて「あゞっ、もののあはれ^~、ワイもこれで国学者や(ドヤ顔」とか云ってるので、哀れだなと思った。今日はもう8月3日である。

 どうでもいいけどポケモンGOの宗教性を問う場合、まず視点を設定しなくてはならないと思った。なんとなく以下五点かなと。

①宗教的とは何か?→P.ティリッヒの究極的関心=信仰。PGは身体性、生活態度(エートス)の改変を伴う強度の関心は持っている。法治否定(不法侵入、道交法無視)もある。なのでPG≧法は宗教法≧世俗法というのは、ちょっと似てるかもしれない。

②宗教とは認識論的転換である(ある前提を持つとき、他者とは違うものがみえる、実存的事実である)

③ないと思っていた場所に「ある」ことを気づく世界観の転換≒宗教に似てる。

④宗教と民族は別だが、民族とは、簡単にいえば、1)神話、2)儀礼、3)言語と伝統の共同体への帰属意識をもつ集団。

⑤定期的更新による移動発生≒祭り・儀礼。初代ポケモン≒神話。スマホ片手=民族。

 なので、PGは民族(ポケモン多神教:henotheism)。夕方、今週末と来週末に参加するイベント的何かの告知を手伝う。夜、ブログ更新。にんにく抜き餃子を食べた。おいしい。

平田篤胤: 交響する死者・生者・神々 (平凡社新書)

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霊の真柱 (岩波文庫)

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