どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:寝不足、代用タブレット届く、一般ウケするもの

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イスラエル考古学者、「エルサレム」と記した最古のパピルス公表 | ロイター

10月29日 土曜日 晴れ

 結局、7時に寝て11時に起きた。あまり眠れず寝不足。代用タブレットが届いたので、ひたすら設定&片付け。夜、近所で坊さんがbarをやっており、そこへ行くから来ないかとの知人の誘いを受けて、興味本位でいってみた。テレビないし見たこともないのだが、坊さんバラエティ番組に出演している人らしい。

 割に盛況で人が多い。なんというか一般の人々が宗教家に求めているイメージをやっと理解した。なるほど、こういう需要があるのか。妙な話だが、僕にとって信仰というのは究極的事柄であるし、それは世界や宇宙、自己の実存の可否に関わるようなものだ。従って、ふわっといい話をするとか、単なる慰めとか共同体という機能は副次的なものである。それらは確かに宗教が提供できるものではあるが、必ずしも宗教でなくても良いのだ。誤解を恐れずにいえば、キリスト教信者の何割かは、実はたまたまキリスト教だっただけで浄土教系仏教であっても問題ないはずなのだ。

 もちろん僕自身の宗教との出会いもそういう偶然性や交換可能性を否定はできない。しかし、もう交換可能なものとはなっていない。僕にとっては何というか、言語化するのに体力を使うものなのだ。だから重苦しく難解な問題としての宗教の話をするよりも、楽しいアニメの話をしたい。ただ、そういう宗教への関わり方があまり一般的でないことを肌身で理解した。

 いつも友人が言ってることで「宗教や哲学などで悩む前に、結婚や趣味に打ち込むほうがいい」とはその通りだと思う。ただ結婚や趣味に打ち込むのも難しい現状が非正規労働層にはあるから、その限りではない。僕も趣味と結婚とかに打ち込んで幸せになりたい人生だったし、何事にも中途半端だから無念としかいいようがない。とりあえず、とにかく一般受けするとはかようなことかと驚いた土曜夜だった。