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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:21th、所感、書く

宗教・歴史 京都

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12月26日 月曜日 曇り

 さすがに昨日の疲れもあってか、8時間ほど寝たのに、まだ眠い。朝は、お腹すいたので近所のパン屋で買って食べた。あとも作業に移れずゆっくり過ごした。

 昨日の素晴らしい21回目の待降節と降誕日を終えて思った。唯一後悔があるとすれば、梅田の多足歩道橋上でホームレスだと思わしき男性二人の空き缶に千円をいれなかったことだ。時間ギリギリで歩きながら悩み通り過ぎてしまった。今思えば、イエスさまだった。啓示はいつも気がついたときには手遅れになっている。
 修論の最終段階を仕上げつつ、この200年の議論を改めて浴びている。僕を導くのは、三冊の書物。並べてみると、はからずも自分の輪郭が浮き出てくる。問題連関は「到来するもの」、「希望」である。または希望の意味、所在、根拠。
 宗教的用語でいう原罪や業、先天的な暗いものを誰もが持っている。それが少ないほうが一般にいう人生の幸福度と適応度は高くなるのだと思う。幸いにも影に囚われず暮らせる人のほうが多いし、友人には闇や穴を強靭な知性で括って進める人たちもいる。おそらく僕はたまたま人より影の量が多かった。だから、見えない胃袋とカオナシのような、ひたすら咀嚼もせずに吸収消化の繰り返しとなっていた。しかし、時間がたつにつれ反芻が可能になる。成分が全身に回り、ラマダン後のムスリムのように身体が気づく。

 今朝、再び修論に向かうために本を開いて読みながら、トイレでふと思った。穴の影が地表につながった。15年ほどかかったんだなと。いつまでも残るものは信仰と希望と愛だと聖書はいう。信仰とは何か、という問題を去年の今頃くらいはティリッヒに手をひかれて考えていた。今度は希望とは何か、だ。なれば来年は愛について考えているのだろうか。または哀。
 21回目の待降節と降誕日。どうやら準備が終わったらしい。昨日の疲れもあるが、明日の研究指導の面談に向けて、最後の仕上げをせねばならない。目標は完成度8割まで上げること。あと24時間である。早くカタをつけてアニメを見たい。今期分で消化していないものが大量にある。

 21時過ぎ、無事に第一章を僕なりに納得のいく段階まで持ってこれた。なので遅めの夕食を買いにスーパーへ。その後、ブログ更新。あとは寝るまで、ひたすら書くだけである。