かっと晴れ渡った昼下がりの初夏の空ときらきら光って流れる鴨川。余りにも陽気が良いので、予定を変えて河畔に佇む。この街に住んで本当に良かった。 pic.twitter.com/yW51j4Fw1v
— 永觀堂雁琳(えいかんどうがんりん) (@ganrim_) 2017年4月28日
4月28日 金曜日 晴れ
ゆっくりと起きた後、午前中は取材手配。英文で丁寧な文章をつくるのは骨が折れる。遅い昼飯をどうしようか迷ったが、なか卯へ自転車で向かった。帰り道、日射しに照らされる京都と滋賀を分ける山麓が本当に美しく、なぜか地元の中学校のグラウンドからみた山をみた。ある種の原風景なのかもしれない。本当に美しい。関東から来た人々の多くがいう「山が見えるのがいい」というのは本当だと思う。
昨晩やったブログ更新作業の続きを午後も。猫ラーメンにいきたかったが今日は休みらしい。昨日はやってたらしい。なんてこった。
明日は一日外出なので、今日中に読まねばならんものがある。が、そう思ったのが夕方6時であった。夜、オンライン読書会に出席。有賀鐵太郎を読みこなす力が自分にないことを痛感しつつ、同時に、エネルゲイアについて、クセジュ文庫にあったと思い出した。手元に本があることは良いことだと思った。司祭とオルフェンズの最後について話したが、個人的には、以下、作家・蝉川夏哉氏のご意見が非常におもしろいと思った。蛇足ながら、それを受けての僕と友人のチャットも掲載しておく。
夜、無性に哀しく空しくなり、夏の一日の終わりにUFOで旅立ちたいだけの人生だったと思った。
酷く穿った見方かもしれないが、『鉄血のオルフェンズ』を「今の40代から30代後半の就職氷河期の人々の物語」と仮定すると、妙にしっくりくるような気がしてしまう。人倫の絶えた世界で生き抜き、訳の分からないままにプレイヤーとして参加した世界は大人の理屈で動く場所。その中で必死に働き、言われた通りのことをしても、割りを食い、仲間はどんどんやられていく。ささやかな夢を見ていただけなのに。
その一方で「はじめから何かを持っている人々」が存在する。イオク様は何度失敗しても、命を失うことはない。彼は「持っている側」の人間だからだ。「持っていない側」の鉄華団のメンバーは、次々と死んでいくというのに。「鉄華団ははじめから死ぬことが決まっていた」のは、就職氷河期の人々は結果として敗れてしまった、ということだろう。超人的な技量を持ち、半身を差し出した三日月でさえ、駄目だった。でも、子供には罪科はない。せめて次の世代は健やかに育って欲しい。
この見方は酷く穿った見方だが、監督も脚本も、ちょうど就職氷河期ど真ん中に当たる1976年生まれだ。あの世代の見ている現実、ライフヒストリーが鉄華団と重なるものだとしたら、それは、それは。
・・・・・・・
ワイ 「すげえ感想で、ほぼ同世代としては、なんとも言い難いw」
友人 「なるほどねえ。それで共感するのか、おっさんたちが。」
ワイ 「どこまで狙ったか分からんけど、この見方は一利ある気がするなぁ」
友人 「シロクマのブログの感想は、やはり後半の盛り上がりの無さに言及してたけど、あれはわざとじゃないかと思う。第一シーズンはカタルシスを視聴者に与えたけど、第二シーズンはストイックに、ガンダムさえ活躍せずに終わっていく。リアルなんだろう、それが。」
ワイ 「白熊の読んでないけど、そういうリアリティは確かに感じた。」
友人 「ぼくらの世代のメタファーとして見るというのは、そうだと思うのだけど、意匠として第三世界の少年兵問題なんかを持ち込んだのは、斬新だと思う。確かに、ガンダムは少年兵の物語だ。活躍するかどうか、美談になるかは監督次第だけど、今回はかなり現実世界に寄せてきた印象。実体弾の使用はその象徴かな、と。」
ワイ 「なんていうか、終った後の微妙な感覚の正体がわかってきたわ。物語として何を描こうとしてるのかを、二期をみながら考えてたし、主役ほぼ全滅させて、忘却されていくってのはなるほどと思ったけど、そうね。世代と世界へのメタファで、弱い側のどうしょうもなさと脆弱さ、体制側の圧倒的頑強さ、そういうものを現実に寄せて描いて、その実感を瞬時に、終った直後に一気に感じたからだわ。」
友人 「よくできた作品だと思うよ。ガンダムプロレスにしなかったってストイックさでもわりと評価してる。ガンダム活躍させちゃうと、多分、メッセージ発信できないからねぇ。ガンダムの文法を使って、そうじゃないものを出来させたってことなのかな。押井的だね。」