どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:進発、東京着、みんデキ前夜 ※追記有8.25 11:30

8月18日 金曜日 曇りときどき晴れ

 うえかむよーこそじゃーぱりぱーっ。よく寝たので体力は回復した。ふと思ったが好きなアニメの新人声優さんでもフォロワーが2500人行かないの見てると、周囲の知人たちの5000だの一万だのってのは、やっぱり彼らは何かおかしいのかもしれない。

 だらだらと準備して、やっと新幹線に乗って出発。変な時間帯だし、人が少ないだろうから少しは節約しようかと自由席へ。が、わりに埋まっていたので一本待って次の博多から来るのに乗った。

 座って一息ついたら通路隔てた窓側オッサンが、独り言で自分が乗り遅れたこと、自分でペットボトルを落としたのとにキレて壁や床に怒鳴りつけている。何事かと思った。ちょっと怖いが、音消しに音楽流して原稿書かねばならない。しかし、ひたすら独り言というのは興味深い状況である。いつかワイもそうなるんやろか。「バカにしやがって…」を繰り返しているが、この言動が理由なのではとモニョる。一人でいるときに声に出して反芻してまで怒るというのは、どんなヒドい目にあったのか。あと苛立っていてもスマホを投げたりしないあたり判断をつけていると見受けられる。

 しばらくして車内販売が来た。まさかの超良識的な笑顔で車内販売女性に「すみません、お茶をひとつ、有難う」とおっさんは言った。支払った後はまた独り言。この落差に本当に驚いた。彼の前に座っていた女性二人組は別の席へと移っていった。名古屋過ぎて僕と彼の間に背の高い若い男性が座ると無言になった。つまり、おっさんの心体の親密圏が伸縮しているということであろう。

 行きしな、怪異など不思議な現象を考察・調査する際、前提と方法が重要だなと思った。近代科学は対象によって方法と分野を区別する。現在、有効だとされているか科学的手法のどれを使えば、またはどれを組み合わせれば対象を観測し理解できるのか。この問いかけが調査の前提となる。たとえばUFOを目撃したが、それが地理的特質による電磁波の可視化だったとしても、それだけではUFO目撃談の一側面を解説したに過ぎない。

 「目に見える以上は物理的現象である」という前提から方法を選び、ひとつの可能性ある結論にたどり着いても、それだけで、その事象を、または類似の事象全体を説明したことにはならない。たとえば、国家や愛は目に見えず、科学的に実証可能ではないが存在しているだろう。前提と方法が重要なのだ。話が雑過ぎて叱られそうだが「科学的である」ということは、非常に厳密な思考による緻密な作業によってのみ担保される。とくにUFO目撃のような現象は様々な要因を含むので、自然・社会・人文科学という分野と方法を全面的に駆使せねば全体像は見えないのだと思う。この方法論的厳密さが、科学とジャーナリズムを区別し、この区別を踏まえた上で、不思議な現象たちを観測し理解し物語るところに、この手の話の楽しみがあるように思う。

 品川で降りて乗り換え、都内を移動。無事についたかと思ったら、よく似た名前の駅で間違って降りていた… oh...。地図をみると歩けば20分か30分。どうしようかと迷っていたら、目の前にタクシーが来たので結局乗った。指定席分がタクシー代になった。

 9時過ぎに到着し、友人宅にて待機。明日は、第502統合戦闘航空団ブレイブウィッチーズ「みんなと一緒にデキること! Fes」である。この手のライブに自分から参加するのは二十数年ぶりである。最後にライブをみたのは、いつだろうか。ミスチルと布袋あたりが最後な気がする。

 ツイッターで知ったがピーターミルワード神父さまが帰天されたとのこと。個人的には著書『ザビエルの見た日本』でお名前を知り、その浩瀚な理解にカトリックの本懐を見せて頂いた方だった。requiescant in pace、主の平和。ご遺族、残された関係者各位に平安がありますように。

ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

 

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