どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:祖父危篤、時間、1925

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2日 木曜日 晴れ

 10時半、父よりの電話で起きた。祖父危篤とのことで、医師より親族へ連絡するようにとのことだった。ついにきたか…。寝ぼけた頭で予定を考え、雑務をこなして、学割をとりに行き、かき揚げうどんと鶏肉レモン包みとアスパラを食べて、新幹線に乗った。

 平日の夕方なのに観光客と思わしき、とくに外国人が目立った。何か祭りでもあったろうか。あと修学旅行生が大量にいた。祖父について考えると同時に、アウグスティヌスの時間論についてぼんやりと考えていた。過去とは記憶であり、未来とは期待である。そうかもしれない。窓外を流れる景色に記憶が途切れ途切れに重なっては消えて、降車10分前くらいまで寝ていた。

 地元へ戻り、駅から病院へ。意識はもうないと聞いていたが、話せなくてもあるようで目が合った。何かを話そうとしていることは分かったが、もちろん分からない。ただ「ありがとう」を伝えることしかできなかった。

 もう一度、ことばを交わせるくらいに元気になってほしいが、一目会えてよかった。賢者にとって死とは長い睡眠のようなものだとハリポタか何かにあったが、そういうものな気もする。

 祖父の名には「博」という字が入っている。孫としては、祖父の名を継ぎ身に帯びるためには博論を提出せねばなるまいと思った。祖父の祖父、曽祖父、祖父、父より無数の邂逅の中で紡がれた時間が、僕をここまで押し出したのだ、記憶から期待へ、過去から未来へ。受け継いだものは深宇宙への探査船のように、はるか遠くへ行くだろう。

 昨年逝った母方の祖母のことも、たまに思い出す。前世紀初頭、1900年代の幕開けが少しずつ遠ざかっていく。祖父は1925年生まれ、三島由紀夫と同年代である。そう思うと、祖父が生きた時代があらためて色と彩を帯びて、歴史性をもってきた。

 もうしばらく持ってほしい。家に帰ったのち、久しぶりに祈らされた夜だった。

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