どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:SUKIYAKI、与太話、時代

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11月20日 月曜日 曇りのち雨

 朝、頂き物のドラゴンフルーツを食べた。この種の感じが好きである。沖縄にいる米国人夫妻はどうしているだろうか。連絡せねば。昼前、仕事を終えて出発。関西滞在中、一時帰国中の友人とネット仲間らでジビエらーめんを食べにいこうという話をしていたのだが、まさかの不定休の当日に当たってしまった。電話したらいまから猟に出るといわれたと連絡があり、天王寺駅で折り返して、なんばに戻った。無念。まあ仕方ない。

 午後、晩秋ということもあり始まったひとり鍋でスキヤキを久しぶりに食べた。うまいな。その後、サンマルクに場所を移して延々と与太話。たのしく過ごした。その後、けっこう眠く疲れていたが、贔屓の喫茶店にいき、顔の持つ印象からどこまで人間の性格が分かるかという話。興味深いことである。

 帰りの電車、友人と祖父がくれたものについて話した。彼の祖父母についても話を聞いた。日本最後の公的移民でボリビアへ渡るも、過酷な環境のせいで亡くなり、帰国した祖母が彼の母と叔父となったという。工場、清掃、生き抜くために何でもやって、やがて孫にあたる友人を本当に可愛がって数年前に亡くなられた。

 幕末ちょんまげサムライ時代から原爆投下までが一人の人間の生に納まる。また敗戦前後から21世紀ネットワーク化された地球の時代までも一人の生に納まるだろう。では、今から一人の人間の視点で見られる時代の終わりには、何がどうなっているのだろうか。過ぎていく近代日本の記憶、到来し続ける彼方の何か。寒暖差で少し曇った窓外を静かに灯が流れている。4pm sukiyaki- lyrics

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