どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:今週末、村おこし的な、光明会という影?

12月7日 木曜日 晴れ

 朝10時前、ニュースをみながら京都の冬では上ルと気温が下がるかという実験と調査をしている話を読む。確かにあるだろうな。計算が得意なフレンズたちによれば、たとえば京都タワー頂上よりも、北白川あたり、つまり今出川から北大路あたりの地面のほうが高い。海抜差である。他には、kiroroが再始動するとか暗黒物質は存在しないとか。kiroroについてはレッスンをもう一度受けたというのは、プロすげえなと思った。

 14時くらいまでだらだらと仕事を一件片付けた。

 給与振込みあり。が、計算すると金がない。なぜないのかと思ったら、祖父の葬儀に行く際にスーツと一緒に冬服を買ったからだ。あと調子にのって欲しかった資料を買いすぎた。飼料か私領ならば使い道があるが、このままだと逝く先が死霊である。とまれ人間はすべからく死すべきものである。

 今日明日と、やっと何もないし、たまたま流れてきた友人僧侶が近所の大学に呼ばれて講演するとかで冷やかしにいった。30人くらいは来ていただろうか。寺を中心にした地域活性化という主題である。重要なことは、住職が主権を握るわけではなくて、何かをやりたい人に可能な限り譲って見守る立場に徹することができるか否か、そこあたりに宗教施設の賑わいのカギがあるんだなと思った。

 日記を書きながら後から思い出したが、村おこし的なものというのは、結局、経済単位として市町村が数えられた結果によるものだ。たんなる生活圏だったものに流通という名の収奪用パイプが接続することで、人は便利になり貧しくなった。高知県と鉄道の関係に似ていよう。余談である。

 どうしようかと思っていたが、友人の厚意でそのまま懇親会へお邪魔した。久しぶりに会った某大教授より、一度読み話したことのある教授の名前が出てきたので、やはり相当に評価のある方だったかと思った。社会学といえば暗愚の言い換えだと言わんばかりの界隈評価があるが、僕は彼の本を読んで、初めて、社会学SUGEEEEと思った。

 京都のド真ん中の居酒屋にて、教授と僧侶4人+αの僕で忘年会の夜はふけていく。忘年会に誘われてみたい人生であるが、会社的人間関係もなければ参加するための費用と服と精神が足りないのでしかたない。あと、某宗派における光明会という組織の話をきいてわくわくした。面白い。8時過ぎ、自転車で帰宅。冬の京都である。