どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:大晦日

f:id:timelost:20180105215956j:plain

12月31日 日曜日 くもりのち晴れ

 午前中は仕事。テレビなしの生活が20年近くなる。だから職場にテレビがあっても気にしない。が、そうではないらしい。とくに新聞も読まなければテレビも見ないなら、どうやって世の中の情報を知るのか、と同僚の方に聞かれたがネットである。世代差というよりは生活の趣味趣向の違いと言えるだろう。こういう当たり前が知らないうちに分岐している世界は、今もこれからも拡大し続けるんだろうな。

 仕事を少し長めにやった結果バスに乗り遅れた。いつもバスが8分に来るのでそのつもりだったら7分発だった。礼拝へ行くために早上がりにしたのだから、仕方なく間に合うためにタクシーに乗った。

 世間ではすでにクリスマスは忘却されているが、教会では待降節から降誕節へと移行し、聖家族の日となる。だから使う讃美歌もクリスマス旋律のものである。疲れているし眠いから迷ったが、来てよかったと思った。典礼歌203以降のコンボはどこで聞いても素晴らしい。

 その後、ネカフェにて休憩。夕方、贔屓の喫茶店にて友人と会った。成り行きで、作家宅に招かれたので行って年越しをすることに。思えば、キリスト教徒になる前から初詣にはずっと行っていない。もっとも日本の場合は、初詣の代わりに元旦礼拝という新商品が開発されたわけではあるが、神社で年越しというのは遠い昔の記憶であり興味深いものだった。

 作家氏宅にてまず忘年会ならぬ亡念怪。そこから電車を乗り継いで随分遠いところにある神社へ向かった。なんでも古い勝負の神様だという。二年参りのために並んでいるのは、みな地元の人ばかりのようで、後ろの中高生たちが「毎年のことだもんなぁ」と言っていた。日本人の時間観における初詣の機能というのは、わりに大きな比重をもっていそうだと思った。

 前に並んでいた犬が、人懐こい若い犬であり触らせてくれた。神社に来るのも犬に触ってみるのも随分と久しぶりである。時間がきて、太鼓の音がなる。同時に歓声が湧きあがった。2018年である。