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にっき:バイト日、外来思想、餃子

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2月4日 日曜日 快晴

 教会に間に合うように起きたが体力温存のために、再度寝た。起きて11時半。壁の向こうで日曜大工をしているらしくうるさい。礼拝に出たかったと思いつつ、身支度し仕事へ。12時半に出発。

  贔屓の喫茶店で読書したのち仕事へ行くかと思っていたら、本日、諸事情により15時開館とのこと。oh...と立ちすくみ、諦めてサンマルクにて一つ論文を読み終えて、15時になったので、一瞬だけ喫茶店にて座った。

 家永三郎「日本思想史における外来思想の受容の問題」、なかなか分かりやすく面白かった。

歴史的に、外来思想について日本人がどういうふうに考えてきたか

外来思想のうちでもっとも勢力のあるものは、おおむねいつも宗教的な思想で(中略)宗教的な権威をもった思想であることが多い

こういう問題が、具体的に日本人の意識の中にのぼってきましたのは、おそらく仏教と日本の固有の思想との関係が問題となったのが最初ではないか

理論的な形でこの問題が定期されましたのは、徳川時代における儒学者が、儒教の日本の歴史の中で果たした役割というものをかえりみたのが、最初であった

 

一口にいえば、つまり、日本人が仏教をうけいれることによって、初めてまことの道を知ったという(中略)徂徠学の根本思想であります(中略)要するに、中国から日本に道徳が伝わるまで、日本には道徳がなく、日本人は、禽獣と同じふるまいをしていたのである、というのであります

明治以後においてさまざまの外来思想が入ってまいりますが、それらのうちのある特定の立場をとる人々は、やはりその立場から、その思想の入ってくる前の日本人の思想は、非常に浅薄である、真理に目覚めなかったものである、という解釈を採ることが多かった

これは、外来思想についての、日本の昔からの考え方のひとつの極端なる形態であります。これに対して、結論においては正反対でありますが、ある意味では、それを裏返しにしたような考え方もある(中略)日本の固有の思想というものを中心におきまして、その立場から、外来思想が日本に入ってくることによって、日本の思想が著しく堕落した、悪くなったという考えかたであります。

最も最初に強くうち出したのが、国学でありまして、加茂真淵の「国意考」(中略)いずれにしても、外来思想というものに、著しく大きな役割を与えているという点では、方向は逆であっても、共通している

思想問題を、ある権威と権威との関係において律する限り、こういうような考えかたにならざるを得ない

 

いまひとつ(中略)外来思想が非常に無力であったという考えかたがある

たとえば柳田國男先生の研究(中略)結局古くからの民間伝承的なものが根強く残っているので、そこにむしろ本質があるのであるというような考えかたが、主張されている

それと全く相反するような立場、たとえば史的唯物論の立場に立つ学者の研究の中にも、結論においては民俗学のそれと著しく接近した回答が出ていることも珍しくない

結論的には、日本の伝統的な意識というものが、いつも協力であって、外来思想というものが、実際は、あまり日本人のものの考えかたを、本質的に変えてはいなかった

 

発展段階説と申しますのは(中略)人類の歴史の発展が偶然な条件によって行われるものではなく、ひとつの必然的な発展法則によって貫かれており、そして、ある段階から、より高い段階へと、一定の順序を経て発展していくもの

対立するものとされている歴史観に、文化伝播説というものがある(中略)文化の発展を、ひとつの社会の内部の自律的な動きと見るよりも、むしろ異なる社会、異なる民族の間の文化の移動・伝播の相互関係の中に、基本的な力を求めようとする見解

われわれは文化伝播説に対し、発展段階説を側面から補強する意味で、十分に耳を傾ける必要があるのではないか

 

世界的な交通通信の機関が発達しました時代と違いまして、古代社会・封建社会におきましては、交通がきわめて不便でありましたから、そのように不便なルートを伝わって日本に移植される外来思想というものは、偶然の条件に支配されることがいっそう大きかった

次にまた、外来思想が伝わる場合には、必ずしも、その外来思想の母国における、第一級の書物なり、人物の学説なりが、そのまま伝わってくるとは限らない(中略)非常に初歩的なもの、つまらないもの(中略)必ずしも重要なものといえないもの(中略)本格的な学術書ではなく、むこうの学校の教科書程度のもの(中略)そういうものが日本の大思想家の種本になっている

 

外来思想というものが、けっしてオリジナルなものによって伝えられるとはかぎらない

外来思想が、その発生した母国の歴史的状況から切り離されて理解されるということ(中略)時に非常に理想化された形で、また時には非常に矮小化された形で理解される

外来思想というものは、大体において、それをうけいれる側の主体的な条件によって、強く制約されるわけです。この点で、発展段階説が、社会内部の推進に重きをおきまして、外から伝えられる要素というものを軽く見たということは理由がある

 

思想をうけいれるだけの、主体的な条件が成熟することによって、初めて外来思想というものが一定の国土において根を下ろすことが出来るものである(中略)外来思想が、その固有の論理をもって、移植された土地において発展するものではない、しばしば、うけいれられる側の主体的条件によって変容されるmetamorphoseが行われるということをも意味します。

外来思想が、しばしば日本の伝統的なものの考えかたによって、著しくその本来の姿を変えていることが多い事実は、はっきりと認めなければならないと考えております。

 

外来思想は、それが日本において完全に発展するためには、日本人の内部に、その外から播かれる種子を発育させるだけの、主体的な条件が用意されていなければならない

外来思想というものは、一方において伝統的な思想との関連において、さまざまな意義をもっているのでありまして、外来思想と伝統的思想といずれに重きをおくべきか(中略)難しい問題

歴史家というものは、どこまでも、具体的な事例について考えるべきでありますから、具体的な事例を離れて、抽象的な命題をたてる必要はない

思想史を、その全発展体系の形で綜合的に把握しようとする場合に、この外来思想という問題を、日本社会の内的発展とどのようにかみあわせて理解していくべきか、ということは、これは日本思想史のひとつの根本問題であるにかかわらず、今ここにはっきりした結論を出し得ないことを、非常に残念に思う

 

家永三郎「日本思想史における外来思想の受容の問題」

武田清子編『思想史の方法と対象』(創文社、1961年)193-212頁

 路線検索では間に合う時間になっているが、甘かった。バスは遅れ、タクシーも20分まっても通らない。結局、5分ほど遅刻した。夕食は餃子と中華野菜スープ。最近は餃子の羽まで作れるようになっているらしい。すげえな。全部で84個、焼くの大変だった。そのせいか、コップを二つも割ってしまった...(白目)

 夜、同僚と話し2時過ぎに寝た。

思想史の方法と対象―日本と西欧 (1961年)

思想史の方法と対象―日本と西欧 (1961年)