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にっき:戦争の起源、仕事、筑前煮

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3月25日 日曜日 晴れ

 仕事日。例に叶い、微妙に間に合わなかったので、知人牧師のオンライン礼拝を視聴して仕事へ。土日シフトに入られれば、今後、こういうことも減るだろう。行きしな、人類学の入門書の「戦争の起源」にあたる部分を読みながら、いろいろと納得した。なるほど。

 諸文化は概して、生産、再生産、生産強化、資源枯渇の諸過程についての知識をもってすれば大体は予測できる、同方向に収斂してゆく経路に沿って進化してきた。

 ...たとえばムルンギン族やヤノマモ族は、一平方マイルあたりの人口密度が一人に満たない。しかし、このように人口密度の低い集団でさえ、再生産の圧力を受けている。そして、かなり有力な証拠によって、次の二点を証明することができる。それは、バンドや村落のレヴェルにおける戦争の背後には、人口と資源との均衡の問題がたしかに存在すること、および戦争という災厄が生じるのは、前産業社会の人びとが、人口密度と人口増加率を低くとどめておくための犠牲の少ない穏便な手段を開発できないからであること、である。だが、この証拠について論じる前に、他の説明をいくつか吟味し、そのいずれもが妥当性を欠いていると思われる理由を示す...他の説明...は、≪連帯としての戦争≫≪競技としての戦争≫≪人間の本性としての戦争≫≪政策としての戦争≫がある。

 

 ...バンド社会や村落社会で戦争が行われる理由を理解するためには、調和のとれた生態学的・人口学的関係の維持に戦争がどのように寄与するのかをみなければならない。

 ...生命の再生産において男性はたくさんいる必要はない、というのが生物学的現実なのである。

 

 ...バンドや村落は、人口増加率を低くしようとする場合、男性の戦死ーーすでにみた通り、これは女性の驚くべき出産能力を頼めばいつでも容易に埋め合わせできるーーを第一に利用するのではなく、別の方法、すなわち、戦争行為と密接に関連しこれに左右されはするが、実際の戦闘そのものではない方法を用いた。その方法とは女児殺しである。バンド社会や村落社会では、戦争が女児殺しの慣習を生んだ。

 ...軍事的成功は、屈強な戦士が多いか少ないかで決まった。したがって、男性のほうが女性よりも社会的に価値のある存在となり、男も女も男児をできるだけ多く育てるために協力して女児を「片付け」ようとしたのである。

 

 ...もっと恵まれた生活環境では、戦争がなければ頻繁に女児殺しを続けることは難しいであろう。バンド民や村落民も、扶養すべき人数が集団内の女性の数によって決まるということは十分に承知している。だからといって、むやみやたらに女性の数を制限するわけにはいかない。なぜなら、他の点では女性のほうが男性よりも価値があることもあるからだ。つまり、男性にできることならそのほとんどは女性にもできるし、それに、子どもを生み、授乳して育てるというのは女性だけにしかできない。

 ...社会のシステム全体が円滑に機能するには、自分が器量においても力においても男性に引けは採らないという考えをいだくことは、どの女性にも許されないのである。

 

 ...要約しよう。戦争と女児殺しは、かろうじて食べていくだけの状態まで生活水準が下がってしまうのを阻止するために行う人口調節に対して石器時代の祖先が支払わなければならなかった代償の一部である。私は、再生産の圧力が原因で戦争と女児殺しが生じたのであって、その反対ではないと確信している。...嬰児殺しも戦争も、さらにはこうした災厄にともなう男女の上下関係も、人口を分散させ人口増加率を下げなければならないが故に生じたということを示しているのである。

 贔屓の喫茶店で昼食にしようと思って向かったが、ホール係のいないシフトなところへ、まさかの団体客連発ということで修羅場が現象していた。大変そうである。

 夕刻、時間通り仕事へ。想定していた内容ではなく、本日はいつも通りの家事おっさんとなったので、夕食、弁当などを作り、掃除して一日終了。筑前煮、安く大量に作れるのは良いのだが、余ると困ってしまう。

 夜、タナハシコーツについて、さらっと読み流してネットラジオを聞きながら寝落ち。

世界と僕のあいだに

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