どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

学内、中華たべた、室戸台風の記憶

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9月14日 金曜日 雨

 11時頃に起きた。研究室で所用あるので学内へ。ついでに研究室予算より下りることになったテキスト代の精算もできるので、一万円戻ってくる。うれしい。

 到着後、迷ったがダラダラと郵便物を整理し、郵便局へ。予想以上に時間がかかり、悲惨だった。朝昼兼用で食べていこうと久しぶりの中華へいくと店名が変わっていた。が、メニューは、なぜかサラダとして唐揚げが付いてきている。店主が変わったのか何なのか。謎である。

 食後、久しぶりなので古本屋をのぞき、研究室に戻り、中目覺「小樽の古代文字」、朝日新聞「関西大風水害 美談と悲話」、U.シュトゥッツ「私有教会・教会奉仕」と第二バチカン憲章、仙台司教の小冊子などを入手。それを肴に同僚と珈琲を飲んだ。

 原稿上司より連絡アリ。関西方面の記事が足りていないので、名古屋であった学会の記事化を何とかせよ、とのこと。いや、交通費出してくれるなら行くって聞いたやん…と思いつつ、同僚が参加していたので、話を聞いて作ることにした。

 小雨の中、帰宅。戻ると「聖書とUFO」というヤバそうな資料が届いていた。日本語における聖書解釈史の一断面である。原稿をつくり提出。まだ時間はあるらしいので、早めに出せて良かった。

 夜は、今日かった室戸台風の記録を読了。中々の被害である。これをみると今回の台風21号の被害がマシに思えてくる。この約100年で少しは進歩したのである。寝る前にふと、爆風スランプ「ランナー」がリメイクされていることを知る。1988年・昭和63年に原曲発表、2018年・平成30年にリメイク版なので、次の元号の終わりにもぜひ出してほしい。

 スタトレみて3時半には寝た。

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大道弘雄編『関西大風水害 美談と悲話』(昭和9年/1934年、朝日新聞社)17-18頁。
讃美歌を唄いながら天国へ
大阪プール女学校

 大阪プール女学校の5年B組教室では、まさに修身と礼拝の時間が始まろうとしていた。本館東端の二階の教室には片本静子、山口さと子、中島潔子、三島光江、西川壽代、吉満愛子、坂本愛子さんの七人の女生徒が颶風におびえつつも互いにひしと手を握っていたが、ガラスがパリンパリンと木端微塵にわれて東郷元帥の『思考』の掛軸に雨がサッとかかった。

 『校長室へ持って行きましょう』と七人で外しにかかって、台に乗った吉満さんがやっと軸を手にした刹那、ドシンと物凄い音とともに教室は本館からひきちぎられ約二間(約3.6m)も吹き上げられて倒壊した。

 階上の教室、天上の梁の下敷きになって今にも息絶え絶えの三島さんと中島さんとの間に『……讃美歌をうたいましょう』と悲しい囁きが交わされ、片本、吉満、中島さんは苦しい息の下から夢中で神を求める讃美歌を歌いつづけたのであった。そして三島、西川、山口三少女の霊は『思考』の掛軸をヒシと握ったまま永遠に逝き、他の四名は三十七連隊の手でたすけ出された。

 生徒を救わんとし重症を負い入院中の校長・豊勝篤朗氏(59)は初七日の日、『いとし子は逝きて七日となりにけり神のみまえに安彼とこそ』と重症の手に筆をとってベッドの白いシーツを涙で濡らした。また同校教頭・加納哲雄氏(33)は後者の下敷きになったが木材をはねのけ猛風雨を衝いて急を憲兵隊に告げ、多数の生命を救い出すことを得た。

 ところが堺市三宝緑街の実家では母・稔子さん、妹・保子さんの二人が激流にのまれ溺死した悲報に接したが、氏はこれを隠して三日三晩、死傷生徒の手当てや跡片づけに努めたことが後日にいたり判明し生徒は涙を流して感謝した。

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