11月20日 火曜日 晴れ
昨晩深夜の昼寝に加えて8時間半をさらに寝て12時半に起床。本屋閉店の期日を思い出して、最後にもう一度と自転車を走らせた。風邪が治っていない。帰り道、鴨川の上で虹が見えた。毎年虹を見ている。ノアの約束に従えば、これはどんな意味を持つのだろう。
身支度し学内へ。書類の提出、本の返却のち研究室へ。新約学関連の発表を聞きながら、非ユダヤ人キリスト教徒のユダヤ的伝統への執着(例:米国シオニズム)は歴史性への憧憬かも知れないと思った。教派分布をみるとシンプルな説得力があるような気がする。たとえば、とくに20世紀後半、冷戦後のDispensationalism系にとって、シオニズムは行き場を失った夢の置き所として機能したんじゃなかろうか。ヤムニア学院の祈願(呪詛)には、こうある。ここまで言われてもシオニズムを異邦人がやるというのは、中々ではないか。
背教者たちには希望がないように。
尊大な政府が我々の時代に速やかに根こそぎにされるように。
ナザレ人(キリスト教徒とミーニーム:異端者ら)が瞬時に滅ぼされるように。
彼らが生命の書から抹殺され、正しい者たちとともに記されることがないように。
主よ、誇るものを卑しめ給う汝は誉むべきかな。
結局、寝過ぎたせいか、体調が悪いので、二限目は中座して帰宅。また寝た。
起きると6時前。ちょっとスッキリした。どうしたもんかと思いつつ、仕事する気にもならないので、アニメ映画ゴジラ最終章を観に三条へ。キングギドラの描き方が最高だった。第一章はまあ最初だし、第二章は、えっ、こんなんになるの…(困惑)で、どうなるかと思っていたが、第三章で挽回したといえる。控えめにいってもかなり面白かった。よく見ると虚淵が脚本に戻っている。あぁ、なるほど、おもしろい理由はこれか、と思った。
もっとも凄く良かったのだが、一つだけ難点をいえば異星人エクシフを批判する際に、宗教批判を行うわけだが、その批判が少々浅薄に過ぎる。黄金の終焉、終わりの翼が現われ、虚無に飲まれる=死ぬことが救済となる、ということを押しつけてくる金髪男、しかも空には3つの円が見えるというのは、これはキリスト教と三位一体論へのモティーフであろう。このアニメ・ゴジラシリーズの小説シリーズはかなり良いのだが、中途半端に古典や人名を引用しており、教養の底が透けて見えている。そんな変な小細工をしなくても十分に面白いので、そこだけが敢えていえば残念だった。とにかく面白かった。あとハリウッド・ゴジラの続編も期待である。
帰宅後、一件、原稿を出していないことに気づいて、作成、提出。その後、スタートレックVOYを視聴。3時半には寝た。
シーズン6-3 第123話
邦題:さまよえるクリンゴンの魂
原題:Barge of the Dead
あらすじ……トレスは、イオン嵐に遭遇した後、彼女の中でクリンゴンの魂がよみがえってくることに悩まされていた。すると、ヴォイジャーにクリンゴンの一団が現れてクルーを殺害し、トレスは、いつの間にか、クリンゴンの死者の国へ向かう船に乗っていた。