どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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にっき:一年、メモ、かつ丼370円

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8月13日 木曜日 雨

 朝、ブログ巡回。いくつか新しく読者登録をした。世間様は今日からお盆ということで、三宮の幹線道路がガラガラだとニュースになっていた。東京、関西、名古屋、そのあたりもガラガラなのだろうか。昼食は近所でかつ丼370円を買って食べた。うまい。が腹一杯になった。

 午後、復習的なことを考えつつ、読みつつ過ごす。主に午後をかけて理解したのは、70年代以降の僕の専門分野に関して史的整理だったわけだが、別件で学問の区分けみたいな話、また風が吹くような思いつきで丸山眞男などのことを思い出した。夜、翻訳チームに入るように誘われている本の冒頭を読む。学問的区分については退屈な話ではあるが、広く知られて良い話でもあるので、以下に再び置いていく。

・・・

 近代的な知の特長は制度化であり、その再帰性である。学会、大学、出版、書店という拠点において、研究・教育・啓蒙が行われる。その内容は、自然科学/社会科学/人文学となる。余談ではあるが、小中高というのは、これらの近代的な知的制度への地ならしであり、選挙と就労のための前提である。

時間軸による自然科学の分類
物理は理論上の瞬間、点
化学は瞬間から秒
生物は日~年
地学は数百年~億年

 自然科学は時間軸で区切って学問区分を構成し、社会科学は自然ではないが自然と同じような実在として制度なり集団の行動を扱う。人文学は、文学部の構成である哲学・史学・文学の観点から人間の説明だけではなく理解を目指す。その意味では、以下の目次は分かりやすいように思う。

人文学概論 新しい人文学の地平を求めて

まえがき

 

 人文学の歴史と現状


01 「人文学の終焉」からのスタート
「人文主義の終焉」――ペーター・スローターダイクの問題提起/人文主義と人文学/人文学と教養/人文学部と文学部/中世の大学と人文学/人文学の中心課題/「パンのための学問」と人文学 

02 ギリシアにおける学知の誕生 

ミュトスからロゴスヘ/ソクラテスにおける「哲学の人間学的転回」/プラトンとイデアの学説/アリストテレスの学問体系/真理探求と師弟関係
03 パイデイアとヨーロッパ的教養の伝統
パイデイアとは/フマニタス,自由学芸/リベラル・アーツの理念
04 知識人の覚醒と大学の誕生
革新の12世紀/12世紀ルネサンスの背景/12世紀の知識人とアベラール/大学の誕生
05 ルネサンス人文主義と「フマニタス研究」
ヒューマニズム/フマニタス研究/ルネサンス人文主義/北方人文主義とエラスムス/エラスムス的人文主義と「文芸共和国」の理想
06 「フンボルト理念」と近代的大学の理想
近代知のパラダイムと新しい大学の誕生/フンボルトの大学理念――孤独と自由/学問による教養/研究を通じての教育/自立的思考の練成場としてのゼミナール

 

 人文学の諸相


07 人間と文化
文化とは何か/「文化」と「文明」の対立/クルトゥール・カルチャー・文化/人間と文化/異文化との出会いと知的覚醒
08 言語と芸術
「シンボルを操るもの」(animal symbolicum)/ミメーシス/言語/芸術の原理としての表象性
09 神話・宗教・祝祭
神話/宗教とは何か/絶対依存感情とヌミノーゼ/「究極的関心」と実在の自己実現/祝祭
10 時間・記憶・歴史
時間/存在と時間/記憶/記憶と忘却/記憶の媒体と記憶の大変動/歴史
11 原典と翻訳
人文学にとっての原典の意義/翻訳とは何か/翻訳の実際/「文人の翻訳」と「学人の翻訳」/文化の翻訳
12 文献学と解釈学
フィロロギーと文献学/解釈学とは何か/解釈学の命題/古典を学ぶ意義
13 書籍と図書館
図書館とアーカイブズ/博物館・美術館/アレクサンドリア図書館/セプトゥアギンタの翻訳/パピルスから羊皮紙へ/中国における図書館/中世西欧の修道院/イスラーム世界における図書館/ルネサンスと宗教改革期の図書館/近現代の図書館/納本制度と国立国会図書館/デジタル図書館・美術館の出現
14 情報とメディア
メディアとは何か/情報と知識基盤社会/インターネット/デジタル人文学?/クリティカとトピカ
15 新人文学/新人文主義のゆくえ
人文学の現代的境位/新人文主義の多義性/サイードと「新しい人文学」/文献学への回帰/理解の突如性/新人文学/新人文主義のゆくえ

 補遺 人文学研究とその方法

ディルタイと「精神科学」/西南学派と「文化科学」/人文学の方法/人文学の学問性

あとがき/人文学に関連する文化史年表/主要文献解題/索引

 ふと去年の今頃何をしていたかを思い出して過去の日記を読んでみた。なるほど、あれから一年たったのかと思うと長かったように思う。少しずつ予感めいたものが確かさを増して形を成していく。来年の今頃はどこで何をしているのだろうか。結局、確かなことは何一つ言えず、ただぼんやりと形の変わる雲を眺めるような思いがするだけだ。それと最近、丸山眞男に言及した記事を読んだ。ネトウヨ・ブサヨ論争は別問題として夏なので、こういう話が目につくのだ。ちょうど一年前に書いた要約メモを貼っておく。読んだ記事はこちら。

(2014.8.14記)丸山眞男『日本の思想』による日本人の思想受容メカニズム

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

まず日本人の特性を三点。

・ 伝統=無限抱擁性、思想的雑居性

・ 歴史化せずに思い出となる

・ 実感と科学だけを信じる人々

その説明としての歴史解釈

 本居宣長が求めた固有信仰

 キリスト教の代わりとしての天皇制=国体=伝統

 無限抱擁と雑居を否定する者は排除する形で伝統が機能

 精神と制度の未分化による制度の無制限の内面化

 戦後社会・組織における無限責任・無責任

 マルクス主義で初めて学んだ一貫した世界観

 精神を宿す公式・制度の物神化、実感と科学のみへの信仰

 確たる自己なき素朴で安易な自画像、狭い社会と現状追認

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 マルクス主義の求めた「革命」は日本人自身が、まず強靭な個として自己革命を行わなくてはならぬ、という結論。色褪せていない視点だと思ったが、いはやはしかしwいわゆる、一貫した論理で世界を構築する視点=世界観は、日本人には無理だ、みたいな話だな...。個人的に、土人であることを悪いとは思わない。しかし、土人が土民程度にはならないと、海岸線いっぱいに広がった同調圧力で、みな辛い思いをするだけなのかもしれない。