8月16日 日曜日 晴れ
今朝の礼拝は多様な聖書的伝統としか言いえないキリスト教の最先端に参加し、緑茶と煎餅の聖餐式に与った。帰り道、猫の写真展をみて、がなる右翼と佇む公安の横を通り、けいおんの痛車を運転する人と心通う瞬間があり、その後、主教座聖堂にて正教やイコンについて解説を伺った。
17年前、素朴に聖書を読み信じた色白の太い田舎の少年は、社会不適合の図々しい不良中年になってしまったが、万物が復興を目指す中、デュナミスがエネルゲイアへと向かう実感がないわけではない。夏の記憶が八月第三週の湿度と気温に溶けている。
人間の持つメタ機能を一ヶ所に外部委託し究極化するのは簡単だ。しかし、人が生きるためには天の食卓に与らずを得ず、そのためには複雑なままの世界を記号と象徴のままに受け止めるしかないのだと思う。
ヨハネ福音書21章4節
「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。」
そろそろ夜明けが来ている。夕方、東北大のキャンパスでタイの友人と話した。