8月21日 金曜日 曇り
ブログ更新、飛行機を予約した。四捨五入40歳にしての二度目の大学隠棲生活(白目)なので夏休みは9月末まであるのだが、避暑がてら出てきた東北での暮らしはもうすぐ終わりである。
花火の終わりと共に涼しくなる変節を感じられるところに、西日本にはない季節の質感を感じる。夕刻、誘われて新しいSNSに参加したが、そこで「時の間に」という語についてぼんやりと考えた。以下、引用である。
Zwischen den Zeiten 時の間に
20世紀最大の神学者として名高いカール・バルトが『時の間に』という弁証法神学者が集まる雑誌を刊行していた時期がある。(以下、面倒だからwikiなど引用・編集)1921年からバルトはドストエフスキー、ニーチェ、キェルケゴールを読みこみ、人間の陥る深淵について理解を深めた上で、その知識に基づいて『ローマ書』の改訂版を書き始める。
- 作者: カールバルト,Karl Barth,天野有
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1922年、『ローマ書』の第二版が完成、出版される。この第二版の出版でバルトの神学が高く評価されるとともに、神学者としての立場を堅いものする。このころに若手の神学者が集まり、弁証法神学の機関誌である『時の間』を刊行する。後に「自然」の理解について対立し続けるエミール・ブルンナーと面識をもつ。
バルトがならした鐘に対して、古い世代はその意味を聞きとることができなかった。ハルナッ クは「真理は単純なものである」と、バルトの文章の難解さ、また文化や宗教に対する破壊的なことばに対する批判をした。しかし、若い世代は、バルトに耳をかたむけ彼のもとに集まったブルンナー、ゴーガルテン、ブルトマンといった人々がバルトを中心に『時の間に』という 雑誌を刊行した。
この雑誌は1922年秋から1933年まで隔月に発行された。人々は、バル トと『時の間に』の神学者たちの神学を「危機神学」「弁証法神学」「新正統主義」などとよんだ。危機神学とは、第一次大戦後のヨーロッパの危機意識の中から生れた神学だからであり、新正統主義とは、彼らが自らの立場を、宗教改革の神学を忠実に受け継ぐ者と主張し、自由主義と正統主義に対して「否」をいったからである。しかし、内容的にみれば「弁証法神学」が、彼らの神学の性質をもっともよくあらわしているといえよう。(引用・編集終わり)
結果的に、この『時の間に』は、バルトとブルンナーとの対立に象徴されるように著名な学者たちはみな離れていくことになる。まさに『時の間に』離散したともいえる。しかし『時の間』ではあれ、20世紀以降の現代神学を規定し支配したドイツ神学者たちの経歴には『時の間に』という跡が見える。
このSNSが、参加者にとって、どのような「時の間に」なるのか分からない。花火大会のようかもしれないし、聖痕のごとく強く深いものになるかもしれない。しかし、我々が紡ぐ時の間に、誰かの次なる時の間が来ることを期待して、このSNSを祝福したい。
※引用HP