どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:百年の酒場、重力波、読むということ

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2月12日 金曜日 くもり

 午前中ブログ更新。午後、昨晩一緒にラーメンを食べた友人を京都近辺にあるキリシタン関連史跡へとご案内。京都で見れるものとしては、京大博物館にある景教碑と三条大橋スタバ前の高札跡あたりが、歴史を踏まえると面白いと思う。古本市に立ち寄り、三冊本を買った。友人が森有正全集を買っていた。ちょっとうらやましい。

 夕食は、院生氏と元同居人社会人氏とで100年以上前からある大衆酒場へ。本当は寝てようかと思ったが、歴史ある居酒屋というのに興味をもったので行くことにした。原付で15分以内に、こういう謎い店があることが京都のおもしろいところである。京都や奈良でもそうだが、戦争で焼けなかったので、残っている店が多い。そして、たぶん京都の人のプライドもあるのだろうけど、100年そこらの店などはたぶん新参?もよいところなわけだが、だからこそ目立たず、しかし続いている店がたくさんあるのだろう。

 店内に入ると既に他の二人は到着していて始めていた。僕の体重と横に揺れるイスの拮抗具合に不安を感じつつ着席。鳥天やらおでんやらシンプルなものを注文して食べた。運転するのでウーロン茶でも頼もうと思ったら、酒類以外はないらしい。ということで、普通に家茶を頂戴し、夕食。海藻サラダがいい。

 100年以上前から続いているとなると、様々に経験しているわけだ。たとえば、ざっと100年前の1916年、現在の明治製菓ができて工場法が施工されて12歳未満の子供の労働が禁止された。世界は第一次世界大戦の戦火に揺れて、アインシュタインが相対性理論を発表した。すなわち、この店はあの頃から第二次世界大戦、戦後、高度経済成長からバブル、その破綻を経験してきたのだ。おもしろい。

 居酒屋のテレビでは、重力波観測のニュース。なるほど、視覚ではなく聴覚による情報が増えたということか。そりゃ、すげえな。日本でも同様の実験施設を建設しようとしていたらしく、その所長さんが嬉しそうにコメントしていたのが印象的だった。他の宗教ではどうなのか良くわからないが、キリスト教的に考えれば、神の創造の奥深さを人間がまた一つ発見したということである。素晴らしいことだ。

 帰宅後、久しぶりにバイト的何か。内容としては、人が何かを読むということはどういうことか、という話。厳密な話は僕には出来ないが、文章の本文を確定し、解釈(理解し翻訳=説明可能化)した上で、それが誰かにとっての「意味」になるという「読む経験」について段階を経て考えることは、そのまま文献への誠実さである。

 往々にして、本文/解釈/意味という便宜上の段階を融合させて、我々は良くも悪くもナイーヴに読書するわけである。もちろん読書には音読にともなう、または読むという行為に基づく疲れという身体性が付随することは留意すべきであろう。

 ふりかえってみれば何気ない一日ではあったが古代と近代と現代が、遠く景教やキリシタン弾圧と古典の読み方、百年の酒場、重力波観測ということでつながった一日だった。

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