どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:指先でふれたもの、動物飼いたい、宝くじを買う

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4月27日 水曜日 小雨ぱらつく

 昨日の授業で気付いた。僕は自分が求めきたものに出会ったのだと。幼き日に目の前に立ち現われた「ことば」は素朴に存在していた。それは一つの意味世界、論理構造の中で、または伝統という分厚い壁の中で素人には触れられない形で存在していた。しかし、現在では古代文献・写本の類は、オンライン版で誰でも見ることができる。もちろんデジタルと現物は違うけれども、それらを比較して、やっと物としての聖書に指先がふれたのだ、と思った。人類が手に入れることのできる「神のことば」の断片的な複数の資料。これ以上先には、再びイスラエルで少年が洞窟に向かって石を投げて音が鳴るまでは行くことができない。オンラインという情報形式の限界を認めた上で、いまの僕がふれることのできる本物の近似値。きっと、これは服の上から触れるおっぱいの感覚に似ている。

 2009年の夏、30歳になる前の旅行先ナイアガラを経てカナダでみた死海写本、詩篇103篇の単語を三つだけ認識できたことが、7年後の春、過越祭の後になって少しだけ実りをみせている。この指先が触れたものの先に何があるのか。長い遠泳の果てに、または島と島を渡るような水色の波濤のあとで、指先が陸地に触れた感触。砂の沈む足元、急に感じる重力。僕は昨日あの「ことば」に触れたのだ。

 朝、ゆっくりと過ごして昼食は、博論執筆中の非常勤講師氏(長いので今後、非常勤氏と呼ぶ) が訪ねてくれたので院生氏と三人で食べた。そして話の流れで明日、バットマンvsスーパーマンを見にいくことになった。見たいと思っていたので、ちょうど良い。それに午後から一日半かけて宝くじの申請書を書くので、その後の気分転換にいいだろう。もちろん、一等何億円というものではない。当たれば毎月20万円が3年間、多少の義務付で続くという学振というクジ。宝くじは、買うためのコストが貨幣で学振クジの購入コストは資格と時間。経歴含め、いかに嘘を言わず盛れるかで当たり外れが決まる。

 アラホー文系院生が、20代の優秀な学生さんたちとの競合という、実に「狭き門」で果たしてどうなるのか。結果は火を見るより明らかに思うが、当たれば大きいので、とりあえず書いている。正しい引用かは知らないが、旧約聖書にもこんなことが書いてある。

eccles ch10-11 抜粋

 ...食事をするのは笑うため。
 ぶどう酒は人生を楽しませる。金銭はすべての必要に応じる…

 あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。
 地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから…

 
 風の道がどのようなものかを知らない。
 そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。

 そう、僕は神のみわざ=世界(過去・現在・未来)の全体を知らない。だから貨幣の代わりに時間を支払って宝くじを出してみる。盛れるだけ盛って、夕方5時に教授研究室へ提出。たぶん盛り過ぎて笑われると思うが、当たるも八卦、当たれば猪八戒。

 夜、書きつかれたのでアニメをみた。楽しい。夜のヤッターマン、何気にすごくね?あと、やたらに猫か魚を飼いたいと思っている。特にボトル・アクアリウムがすごく楽しそう。いいなぁ。